(2575)頭の痛い時期

 年金だけの生活。確定申告の季節ですが本来あまり関係がないと思っていたのに、医療控除があるため昨年中の医療費領収書を引っ張り出し、懸命に計算。

 そもそも年金に税金が課せられるのは理不尽と思うのですが、在職中に納めた年金額に応じた分は課税対象から外れていたので仕方ないといわれると、そうかなと思ってしまうのもあなた任せだったからでしょう。

 なんとなく給与から多額の税を引かれて、さらに年金からもとなれば二重課税でないかと息巻いても、こちらの考え違いを指摘されるとそうかなと思い込まされてしまいます。

 しかし在職中あまり気にしなかった医療関係の領収書も、仕事がなくなればよく病院に通っているなと考えさせられる量です。医薬分離で1回医者にかかると必ず薬局の領収書も。従って単純に倍の枚数。さらに診療報酬明細や薬剤処方明細書もつきます。

 これらを仕分けして金額を集計。年金生活者でも税理士に頼みたいほど。そんなことをすればそれこそパンク財政になりますから実行はしませんが。

 それほど苦しみながら計算しても戻される還付金は僅かということがわかるだけ。頭が痛くなりまた医者に駆けつけねば。

(2574)因数分解

 旧制中学で習った因数分解は今でも計算できます。ところが何故因数というのかは疑問にも浮かびません。ただいくつかの数式を重ねて共通の解を求めるということぐらいしかわかりません。

 孫はまだ小学校3年になるところですが計算に興味を覚えているらしく、そのうち因数分解の因数とはなにかと聞いてくるのでないかと戦々恐々です。なにしろこういうことは因数分解というのだと教えられ、因数とはどういうことかを教わった覚えがないのですから。

 そういえば英語でもいちいち単語を翻訳するのでなく、ラジオはラジオというようにそのままの言葉を覚えた方が英語を知る近道だと誰かに教わった覚えがあります。なかなか実行できず相変わらず翻訳をしてかかりますが。そのためか英語が覚えられません。

 因数分解でも因数とはなにかと詮索しなかったため却って計算式とその解法を覚えたのかもしれません。

 物事はいちいち言葉尻にとらわれず、そういうものだと思い込んで次に進んだ方が得策なのかもしれません。

(2573)たばこ税

 妻をショートステイに頼み昔仲間との飲み会に久しぶりの出席。これぐらいのわがままは許されるでしょう。ついでに先日妻のかかりつけ医や介護関係者達からストレス発散のための少量の喫煙、飲酒は許されるという声に励まされ、酒を約1合半、タバコを飲み屋で4本、結局1日8本吸ってしまいました。最近の私としては吸い過ぎ。

 しかしせいぜいこんなものです。むしろ困るのはタバコを吸う場所がないこと。昨日の会場も昼間は全面禁煙ですが、夜間は区切られたコーナー内ならOK。同じ仕切り内で昼は駄目でも夜は許されるというのも考えればおかしなものですが喫煙者には親切な計らい。

 オリンピックに向けて法や条例の整備が急がれていますが、それでもたばこ税を引き上げるというのはどういうことなのか。税収を上げたいのか、喫煙者を抑えたいのか、そこがはっきりしません。はっきりしないため関係業者もユーザーも首をかしげるばかり。

 今でもフィルター付きのタバコならフィルター以外の、本体部分はすべて税金という割合になるぐらいの税金、それをさらにアップすれば1本のタバコの殆どが税金ということ。割が合いません。

 それならとタバコ離れがさらに増えるでしょう。税収は今より減るかも知れません。そうなれば私も考えるかも。といっても今度は酒税が上がるのかな。ストレスの貯まる要素が増えそうです。

(2572)火山

 世界中が大地震に見舞われています。とくに最近ほど多くなっているような気がします。地球創造の神が人類の行いに憤怒したような。昔人間から見れば確かに遺伝子組み換え、クーロンなど自然の摂理に従わない行為が多くなっているように見えます。

 火山の噴火も自然界の怒り表現の一つかも知れません。特定の信仰観を持たない私でもこれはおかしいと考え込んでしまいます。神の怒りではないかと。

 火山噴火も過去数千年噴火していないという山、数千万年前に噴火した痕跡が残るという山が活動を始めたみたい。昔私たちが死火山として習った山が噴火したり。そもそも数千年、数万年前に噴火して以来なりを潜めているからといって、分類上死火山にくくってしまうことが問題。1万年に一度の噴火確率といっても今年がその1万年目にあたるかもしれません。

 国民学校で習った、死火山、休火山、活火山という分類法は現在は無いということを先日の新聞で知りました。古くに習い、または資格を取ったものに新しい分類や法規を知る機会は非常に少ないと感じます。

 運転免許も更新の際に一応改正点を教わりますが、よく覚えていなくても更新が可能です。事故を起こして初めて改訂があったと知る人のほうが多いでしょう。ましてや火山の分類や震度基準の変更なんてのは、噴火や地震が身近なところで発生しない限り変更を知る機会がありません。知っていたにしろそれは雑学として片付けられてしまいます。

 それにしても火山に死火山、休火山はないということはもっと知る機会があっても良さそうに思います。

(2571)ゴム通し

 むかし、母に手伝わされた裁縫。当時は男児は家庭科の教習がありません。しかし家で母の仕事を手伝うとそういうことをやらされました。毛糸巻だとか針の糸通しなど。もちろん本格的な縫い物や編み物まではやらされませんでしたけど。

 パンツのゴムがゆるくなったため ゴム紐の差し替えをやらざるを得ません。近くに裁縫用具屋があるのを知り、必要品を買って早速通し棒を使い新しいゴムを通しました。慣れない手先は計算通りに行きません。

 考え直せば昔はゴム通しなんていう用具はありません。それまであったゆるいゴムを引き抜く前に先を新しいゴムと結び、引っ張り出したものでした。便利なものができています。こんなものなら昔からあっても良さそうなのに。あるいはすでにあったのに母があえて使わなかったのかも知れません。

 むしろそんな面倒なことをするなら材料費を考えても、新品のパンツを買った方が合理的というのが今の時代かも知れません。ゴム通し代、ゴム紐代と時間、労力を計算すればそちらを取るというのが現代風でしょう。

 しかし私はそうした空費するような時間に、亡き母のことを、そして暖かみを思い出しました。

(2570)皆既月食

 1月31日夜22時頃から始まった皆既月食。1時間あまりにわたり見られたそうですが結局私は見ることが出来ませんでした。しかし皆既日食と違いそれほど残念とは思いません。今年は7月にも見られるということですが、皆既月食はそれほど頻度が高く、また見られるという気があるからです。残念に思うとすればスーパー・ブルー・ブラッドムーンという現象が今回は現れたということ。どういう風になるのか肉眼で見たかったという悔しさは残っています。

 月食や日食は戦争と無関係の天体ショーですから戦争中にも起きました。しかしその頃のことは日食のことを覚えていても月食については記憶がありません。今考えれば灯火管制の夜は表に出て月を眺める余裕なんてなかったのかもしれません。

 一方日食は昼間の出来事ですから学校で授業を受けていても起きます。今でも覚えているのは国民学校3年頃だったと思いますが、授業中に起きることがわかり全員校庭に出て日食を眺めたことです。皆既日食ではなかったのですがかなり大きく削られて形にまで進行しました。

 生徒達は工作の時間にセロファンを蝋燭のススで塗った、自作の眼鏡をかけてお日様を眺め大騒ぎをしました。そこで日食の原理を教えられたように思います。まだ日本軍の優勢を伝えていた頃のことです。月食のことも教わったような気がしますが、その時の頭には入っていません。

 それ以来部分日食はたびたび見ましたが、皆既日食を見た記憶は非常に少ない。地域、時間などの条件がなかなかうまく整わなかったからでしょう。ましてや金環食を見たのは国内のどこでも見られたという数年前が初めて。今後も恐らく見る機会はないと思います。

 それに比べて皆既月食はメルボルンでも見ており、それほどの珍しさが伴わないというのが本音。

 いろいろ言ってもやはり人間の力が及ばない天体ショーを無料で見せてくれる天体。戦争を忘れさせてくれた力。素晴らしい自然だと思います。

(2569)敬語

 かねてから若い人の敬語の使い方がおかしいと思っていましたが、教育者自身が正しい使い方を知らないのでは仕方がないと、結局時代に流されるようになっていました。しかしこれが国を代表する大臣や議員さんとなると話は別。

 こういう人が敬語を使うとつい日本は世界でそういう立場に置かれているのだなという意味で納得させられるのです。

 先日外務大臣が中国を訪問し先方の首相達権力者と会見を果たしたのは、昨今の日中、日韓関係の中でさすが話を前進させてくれたと喜ぶべきニュース。ところが大臣の記者会見などで語っているのは、自信が先方に「申し上げ」「先方のご意向だった」というような説明。もちろん私がその場にいたわけでなく、新聞、テレビのニュースを聞いての受け止め方です。

 なんだか日本が中国を仰ぎ見ているような感じを受けたのです。現在日本はアメリカでも中国とでも対等の立場で話せる位置にあるはず。なにかへりくだりすぎているような気がしたのです。

 政治家が敬語を使うときは相当の気を使って欲しいと感じました。

(2568)時代と共に病名変わる?

 在職中は歯医者以外の医師と仕事以外にお世話になることが殆どなかった私も歳には勝てず最近は内科、外科、泌尿器科と医者通いで忙しくなりました。ほんとうは眼科と整形外科も行きたいのですが、家内の介護がありその隙間を縫ってなのでなかなか時間の余裕が取れません。

 外科はヘルニアの手術を伴うため、痛みがいくらか遠のいたこともあって現在模様眺めといったところです。整形外科は腰痛、眼科は白内障。いずれも加齢に伴うものというのは聞いています。

 かつて仕事の先輩や同僚から当時飲んでいる何種類もの薬を見せられたり、胃潰瘍、神経痛、リウマチなどの病名を聞かされたりして、歳を取ればいろんな病気にかかるものだなと考えさせられていましたが、今になって考えればそうした病名を聞かないことに気付きました。

 私もヘルニアと聞き、最近耳にすることが多くなった新しい病名だと思い込んでしまっていましたが、昔の脱腸だと聞くと何で今さらと改めて認識した次第。

 そういえば脱腸以外にも神経痛や中風などが椎間板ヘルニアや変形性ひざ関節症、腓腹筋痙攣、腰部脊柱管狭窄症など具体的な病名で表されるようになったようです。若い人にはわかりやすいかも知れませんが私らになると昔の病名と新しい病名が一致しません。そのため患者と医師の会話を聞いている看護師などはどう考えているのか気になります。

 脱腸、脚気、扁桃腺。今も通じる用語なのでしょうが、現在使われている用語のほうがピンと来る人も多いのでしょうから、世の中さまざまです。

 私とすれば病院通いでもいろいろ勉強させられます。ただ病院と縁がなかったものにわかりにくい用語を使った説明には恐れを感じるのも現実です。

(2567)雪明かり

 最近の放送では「天気予報」といわず「天気情報」といっていますが、確かに今は当たるも八卦式に明日の天気を予想するのでなく、天気がどういう状態にあるかといった情報を伝えるという時代になっています。正確にこれからの天気がどう変化するのか予測することができるようになったからでしょう。

 昨日から今朝方にかけての関東地方の大雪も1週間ほど前から予想して伝えていました。降雪量こそ予想より実際のほうが少しばかり多かったようですがこの際問題にするほどの誤差でありません。

 それより現実に降った雪は今朝我が家の庭で物差しを当ててみると30センチ以上。昨夕デイサービスから帰宅する妻が歩きやすいように掻いた道、今朝はその痕跡さえ認められません。もちろん昨日鳩の番が止まっていた塀もこんもりとした雪山に。

 久しぶりの大雪に今朝も改めての雪かきをして朝食は10時前。妻との食事で話した昨夜遅くの庭の様子。いつもなら灯りが届かない庭は真っ暗のはず。それが夜の10時頃というのに満月の夜より明るいのです。俳句に詠まれる雪明かりというのでしょう。

 「雪明かり」という言葉から高校生時代の「蛍雪時代」という言葉を思い出しました。当時は大学を目指す人たちをそんな言葉で表現していました。同名の雑誌は多くの受験生が読んでいました。出版社の名を知らなくても雑誌名をいえば連鎖反応で出版社の名が出てくるほどのものでした。

 大昔の学舎は夏はホタルの灯り、冬は雪明かりの下で勉強したというのですが、ホタルはともかく、夕べの雪明かりを見れば書物を読むのが可能と感じさせるほどの明るさを持っていました。

 それにしても50年以上前の東京は毎年積雪の中を走る銀座の都電を眺めたものでしたが、都電が走らなくなってからの方が都心の積雪が少なくなったのは、一つの風物詩が消え去ったようで寂しい気もします。これも地球温暖化の一環なのでしょうか。

(2566)初雪

 都心はすでに今年の初雪があったということですが、私の住まいは今日の降雪が恐らく初雪になるのではないかと考えます。予報は今日の午後から雪が降り出すという話でしたが、このあたりは10時半ぐらいから牡丹雪が降り出しました。

 記憶は昨年の降雪が遅く、しかも庭の雪かきをしたのは1度ぐらいだったと。今年はこの調子だと数回やらねばと覚悟。雪かき用のスコップもすぐ手にできるところに出して準備。
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 エサを探して飛ぶ鳥たち、雨の時にはどこに身を隠すのかと心配していたのですが、今日の雪に行くところがなくなったのか、番だと思いますが仲良く塀の上に。この場所は木の枝が被さっていて直接雪はかかりません。すでに1時間以上同じところで首をキョロキョロ。

 右側の鳩は首を盛んに振り、周囲を見回していますから雄鳩だと思います。一方のほうはデンと構えたまま。

 こうした光景を眺めているのも楽しいものです。


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