(2518)なにか似てる

 このところアメリカと北朝鮮の対抗意識が昂揚、昔の日米間のやりとりが再現されているようであまりよい気がしません。

 それにしても北朝鮮のやり方があまりにも昔の日本を思い出させるような。似ているのです。大日本翼賛会とか婦人会の動きに。

 昨日か一昨日だったかのニュースに現れた北朝鮮婦人は「アメリカがなにかしでかせば、私も包丁で戦う」というようなことを叫んでいました。

 昔の日本は「竹槍で銃後を守る」と婦人会の人たちが。それはそれでアメリカと北朝鮮のこと、といっておれない日本の地理的状況。本当にこの対立がエスカレートすれば、韓国上空を通らなくても日本の上空をミサイル弾頭が往来しなければならない位置にあるのですから。

 世界で唯一の被爆国だけにあの悲劇を繰り返したくないのですが、アメリカに守ってもらわねばならない現状では首相の悩みもわかるような気がします。

(2517)高校野球と広告看板

 毎日高校野球の熱戦をテレビ観戦しています。以前にも書きましたが外野フェンスを前に置いたラッキーゾーンがなくなっても、ホームランが続出。高校生といっておれないプロ選手並みの活躍が目立ちます。

 ゲームに見とれていて気づかなかったのがフェンスの広告。以前はコンクリートフェンスの広告を、どういう方法か知りませんが消してあったのに。ラッキーゾーンがなくなったときからなのか、もっと後になってからかわかりませんが、今はプロ野球時同様に広告が出ています。

 プロの時と広告内容が代わって高校野球用のものだと思いますが、高校野球も広告収入を上げようということになったのでしょう。それにしても広告が出ていることに気づかなかったのは注意不足だったと思います。

 徐々に注意力が散漫になるのも高齢化現象なのかもしれません。

(2516)パソコンの功罪

 パソコンを触りだしてはや40年近くになります。会社人間でなくなってからでも20年を超えています。パソコンが今ほど家庭に浸透する前にはワープロなんてものが家庭に入り込んだ時代もありました。

 自分が使った最初のパソコン、まだパソコンという表現もなかったと思います。家庭用というのか子供用というのか、ソニーのホビー的なものだったような。要は家庭用コンピューターで何ができるかを知りたくて。

 仕事に結びつける気があったのですぐNEC製の同じようなものに買い換えましたが、こちらの方がリボン式プリンターが付属していたので。ただし文字はカタカナとアルファベットのみ。漢字変換はできません。

 我が家に漢字変換ができるものが入ったのはワープロ。収容されている漢字が少なく、一部は自分でドットを組み合わせて作らねばならないやつ。おかげでこの頃までは漢字の構成を覚えることもできました。

 しかし最近のパソコンは日本語も豊富に収容されており、作字をする必要がなくなりました。こうなると困るのが漢字を覚えなくなった、というよりどんどん忘れてしまうことです。学校教育でもかつては覚えなくてよかった憂鬱の「鬱」の字も覚えなければならなくなったそうです。書けなくてよいのです。読みさえできれば。それはパソコンの存在を前提にしています。

 昨日のニュースは日本人の論文提出数が減少し、世界ランキングの順位が落ちたとか。入試解答が選択式重点になり、記述式でなくなれば文章をまとめるのは苦手になるでしょう。

 こんなことを言いながら私自身も今まで覚えてきた漢字が書けず、辞書の世話になる頻度が高くなりました。日頃かなり難解な文字も読みこなしているのに。書けないのです。小学校で習うような漢字でも。

 家内も自分の名前が書けなくて苦労していますが、二人して同じようなことになり困りました。

(2515)介護日誌 3

 2012年9月私も受診するからと妻を納得させ、当時最寄りの脳神経外科で脳ドックを受けることにした。このクリニックはその前にも国保の定期検診の際、眼底検査の異常で眼科から紹介を受けたことのある専門医。

 MRIなど一連の検査後医師から「年齢的に相応の異常が認められるが、今すぐどうこうと言うことはない」とのご託宣。「どちらかと言えば奥さんよりあなたの方がいくらか進行している」と注意されている。

 このときはそれ以上踏み込むこともなくしばらく様子を見ることにした。念のため1年後に再検査しようという話になりその間は特に脳神経外科に行くことはなかったと記憶している。

(2514)歓迎地震

 パソコンが熱中症にかかったわけでもないでしょうが、ついにダウン。約1ヶ月の間が開いてしまいました。メーカーの販売員は7年も使ったというのは感激、なんてことを言っていますがお世辞ですかね。

 そんなことをいわれて今更修理というのも、というわけでついに何代目かの買い換え。ソニーのおもちゃのような初期の初心者用から始めていますからパソコン歴は40年以上になるのかな。私の現役中本社に戻っていますが、その前からですから。

 在社時代を思い出せば私が東京勤務になった頃は東京も地震が多かったのを覚えています。これだけ地震があれば神さんもストレスを発散していうので関東大震災のようなものは来ないだろうと。むしろ戦後地震が少ない関西の方が怖いと考えたりして。

 東京には毎年転勤者が来たり本社に戻ったりと異動が激しかったのですが、新しい人が来ると必ず中規模の地震が。我々は地震におののく人を相手に歓迎地震と言ってからかっていたのですが。

 それにしてもほぼ毎日、日本のどこかが揺れているのに東京地方は地震が少なくなったように感じます。気持ちが悪いほど静か。地震は誰しもいやなもの。しかし各地で多発しているのに、何か取り残されたところは突然ばかでかいのに見舞われる気がして。突然の神の怒りは。

(2513)金星

 夜空に輝く金星でなく大相撲で平幕が横綱から貰う金星のことです。このところ金星の数が増えました。配給する横綱、だいたい顔ぶれがきまっているような気がします。ということは平幕が強いのでなく横綱が崩れやすくなったのでは。

 久しぶりの4横綱時代。一場所15日、年間6場所は確かに多すぎる日程です。しかし今年4人揃った千秋楽はまだ。金星だけは毎場所。ファンとしての気持ちは複雑です。

 PCが熱中症か不調のためこの程度で。

(2512)任命責任

 国会は閉会中。しかし問題山積。外交重視の総理はヨーロッパへ。その間に野党の要求を受けた形での閉会中審議。やっぱり総理がいないと話は停滞したまま。それで国民にはわかりやすいように説明するといわれてもさっぱりわからないこの間の審議。野党はそれでも形を整えたのか、与党は野党の要求を受けたことになるのでしょうか。

 さらにわからない閣僚の無防備な発言。そのたびに少々の任命責任を問いますが、それならそういう首相を選んだのは誰なのかといえば。国会が選んだことになります。その国会議員を選んだのは我々。

 首相の任命は我々国民が行ったことになるのでは?

 いずれにしても考えれば考えるほどぬかるみにはまるような。世の中単純なものではありません。

(2511)定年制

 寿命が長くなり、働ける年代も延びました。50歳未満だったという昔のいのち、今は100歳を超える人も数え切れないくらいに。仕事がない私も80を超えて内臓疾患はありません。

 私たちは60歳定年でしたが入社時代は50歳から55歳定年に切り替わった頃だったかな。その頃のことは覚えていません。

 55歳から60歳定年に切り替わるときは5年ぐらいの時間をかけて徐々に延長してきました。こういう時変わり目の世代の人は損をしたのか得をしたのか、計算の仕方で考え方はいろいろ。

 キャリアのある人たちが働ける環境にある現在、定年は65歳への延長。年金が65歳支給になれば空白を埋めるためにも定年制の延長は避けられません。

 それにしても「定年」という言葉、寂しい韻を含んだ用語だと感じるのです。

(2510)名前貸し球場

 野球観戦はテレビかラジオ。球場に出向いたのはもう何十年前のことでしょう。神戸転勤前に東京ドーム、転勤になって甲子園。だからかなり前のこと。

 野球に限らず最近は競技場の名前を売るようになり、同じ競技場でもちょいちょい名前が変わるのでどこの競技場かわからなくなりました。名は替わってもどこかに地名を残してほしいものです。

 東京ドーム、ナゴヤドームだから今日は名古屋で野球をやっているとわかるのです。ヤフードームはと聞かれてどこにあるのか即答できません。最近はもっとわかりにくい名があります。スポンサーにすれば知名度を上げるためでしょうが、こちらはそもそもその名の会社が何を作っているのかさえも知りません。だから地域との結びつけに思いが至らないのです。

 以前、路上である宗教団体が持つ野球場を聞かれたことがありました。どこかで見たような気がしましたがはっきり覚えていません。今度は聞き手が地名を持ち出しました。アッ、それならこの道の……という具合にすぐ返事が。そんなものです。

 ネーミング権、実際は買うのでなく借りるのですが、それならなおのこと、ネーミングに必ず地名を入れて○○仙台球場のようなネーミングならわかりやすいのに。

(2509)足許が見えない、見ない

 神戸の異人館、神戸で何度も行き、その庭園でパーティを開いたこともあったのに、異人館の写真が一枚もありません。思い返せば子供時代から疎開、大阪通天閣、住道で母が開いた美容院と衣料品店。すべて写真の記録が残っていません。

 もちろん戦中、戦後を通じ、写真フィルムは贅沢品と見なされていたのか、高価で無駄に撮りまくるというわけに行きませんでした。写真館で撮った記念写真か、せいぜい旅行先で撮ったものが残っている程度というのも仕方ありません。

 自分が勤めだし多少自分で使えるカネがあっても、むやみにフィルムを消費できない気持ちが育ちました。結果としていつでも写せるという気持ちのあるところで写真を撮ることはしません。また地元はいつでも行けるという考えが強く、会社を辞めるまで住まいの近隣を知らないという半端人間になってしまいます。

 実際に会社を辞めても私の場合はまだ近くを歩いてみようという気になっていません。そのためか、いまだに住まいの周辺写真はありません。今はカメラもデジタル化され、記憶メディアもフィルムでなくなりました。不要なものは消して新しく撮影できるほど便利でコストがかからないものになっても、昔人間は考え方を変えるのが即応できない体質。

 いろんな条件が重なってか、とにかく近くのシーンは見ていないものだと気がついても時間を取り戻せるわけでもなく。いろんな人たちと話しても近くを知らない人は意外に多いということがわかりました。不思議なものです。

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