(2485)踏切遮断機

 踏切事故が絶えません。昔から見れば遮断機が取り付けられ、踏切の安全は数段によくなっているはずなのに。遮断機が下りかけているのにくぐり抜けて横切る人が多いようです。

 わかります。一旦遮断機が下りるとなかなか開かないのです。都会の片側2,3分間隔で走る電車の踏切は。それが往復ですから一旦降りた遮断機は何十分も。正直なところ私も走り抜けようと思ったことがしばしば。しかし足の遅い私が、いつ上り下りの電車がすれ違うかわからない踏切を走り抜ける自信がなく実行できませんでした。

 車を運転していた頃も遮断機が目の前で下りそうな時、通り抜けるよりおとなしく停止した方が遙かに多かったように記憶しています。渡っている途中でも警告音が鳴り出すと一瞬ひるんでしまいます。前の車が渡りきってくれるだろうか心配でした。

 この頃は踏切が陸橋になっているところも増えました。上から眺めると通過する電車のパンダグラフを見下ろせます。普段は見られない角度です。そうした対策が施されても遮断機の昇降前後に飛び込む人はなくなりません。線路がそこにあればそれを渡らねばならず、年寄りに陸橋を登る力はない。それならエスカレーターでもあればと思いますが、コストが絡むことだし勝手な要求は出来ないか。

 昔の踏切は当時盛んに走っていた貨物列車の通過待ちが大変だったことを覚えています。50両以上連結された貨物列車はスピードが出せず相当な時間遮断機のところで待たされたものでした。遮断機も自動でなく踏切番の人が旗を持って操作していました。

 今考えればやはりのんびりした時代だったのです。

(2484)連想ゲーム

 NHKがかなり前に放送していたゲーム番組に連想ゲームというのがありました。あるキーワードを軸に発想を膨らませる様が持つ意外性を面白く感じました。

 ゲームでなくても平素、あるヒントから次々新たな発想が生まれるのは経験しています。サラリーマン時代の満員電車で揺られている時、中吊り広告を見ながらその先を類推し仕事の段取りをつけたこともたびたび。よく考えれば全く関係のないところに行き着いていました。

 今は聞かれなくなった用語に不良があります。どこの小学校にもあの子達は不良だから付き合うなといわれるような少年(少女)グループがありました。今そういう差別をすると教師が譴責されるでしょうが当時は先生がそういう連中を無視していました。

 当時彼らは自転車チェーンの切れ端をポケットに忍ばせ、いざというときはそれで相手を殴るようなことを。女の子をいじめるのに蛇の抜け殻をしのばせていたのもいます。

 蛇の抜け殻は財布に入れておけば財が貯まるとかで大人も貴重品扱い。山の中ですから蛇が脱皮したあとの抜け殻がときどき木にぶら下がっていたりするのです。それでも簡単に入手できません。蛇嫌いの私はいくら抜け殻でも持てませんでしたが。

 クヌギの木などにぶら下がっていたのは蝉の抜け殻。やはりあまり見つかるものでなく見つけるとポケットに入れましたが、これはお金が貯まるというものではありません。従って蛇の抜け殻よりも見つけやすい。

 沖縄の蛇皮線を初めて見た時は驚きました。あれは抜け殻でなく生身の蛇をハイだものと聞いたからです。蛇を見ただけでもゾッとする自分が蛇皮線を触ることなんか考えられません。三味線が猫の皮で作られると聞いても驚きです。

 そのくせどこかにあった虎の皮の絨毯は怖くありません。熊の皮の絨毯は熊の目が怖かった。それも鰐皮のハンドバッグならワニの顔を気にせず持ちますが、あれに目玉が入っていたらどうするか。

 というような思い出をたどっているうち、本来不良少年について書こうと思ったのがハンドバッグの話に切り替わってしまいました。連想するというのも面白い結末になるものだと改めて感心。

(2483)タイピストとワープロ

 わけがわかりません。不思議な現象の連続。地下を掘れば無数の不純物が出るのは容易に想定できたこと。太古の代から人力でなく天災の積み重ねで不純物が埋まっているだろうと思います。問題はどこまで掘れば安全が確保できるのか。その基本原則を確立するのが必要なのに。

 そんな難しいことでなく、日銀や財務省の発表する数字も景気がよいのか悪いのかわかりません。本当に国民が知りたいところを隠して、上辺ばかり糊塗するからちゃんと説明しているといわれても庶民には。

 労働問題も然り。労働者不足といいながら外国人の就労には厳しい規制。医療などで言葉の行き違いがあれば大問題。規制が厳しいことに異論はありません。震災被害を受けた原発の後始末にロボットを使うのも理解できます。

 就職した頃から定年を迎えるまで、いろんな工場を見学しました。大手鉄鋼工場の溶鉱炉で灼熱の暑さの中を工員がスコップで溶けた鉄剤の成型。それがコンベアーベルトやロボットの作業に変わり、自動車工場では機械が流れ作業。ロボットアームの操作員が数人で機械のスイッチ操作をやるだけというピアノ工場。変化はあれよあれよ言う間でした。

 電話の自動交換機は電話交換手を、ワープロの普及はタイピストを、コンピューターは事務員から、ロボットは工員から仕事を軽減する以上の働きです。人が余ってくるはずです。

 なのに深刻な労働力不足とのこと。いったい何が起きているのでしょう。要するに第2次産業革命が起きていると思いますが、本当のところは?。

(2482)古新聞の使い道

 月に1回は出す古新聞の束。いつも梱包をしながら考えるのです。昔の大掃除を。そういえば間もなく梅雨入りの季節。戦死した父が健在の頃は毎年、梅雨の頃と大晦日前に畳を上げての大掃除をしたものでした。持ち家、借家に限らず何処でも畳をたたく音が。

 私は畳の下敷きに使われていた古新聞の4コママンガを読むのに夢中。そうです。古新聞は湿気をよく吸い取ってくれるというので畳の下に必ず敷かれていたのです。半年以上前の新聞は子供でも懐かしい。大人でもこんな出来事があったのかと読み直すくらいですから。

 スーパー、コンビニのない時代。商店街の生ものを扱う八百屋、魚屋の店頭には釣り銭を入れたかごと、適当な大きさに裁断した古新聞の束をぶら下げていました。商品の包装紙に使うのです。

 客が購入した品物を新聞に包み込み「はいっつ、おまけをつけておいたよ」てな具合。吸収性のよい古新聞は重宝されたものでした。焼き芋を売りに来ればそこでも古新聞が活躍。誰も衛生的になんてとがめることはしません。

 衛生観念が強くなり、使い捨てになるビニール製レジ袋が活躍するのが健康的な生活なのかどうか。小さい子供がレジ袋を被って事故を起こしたり、有害物質を吸ったりする方が非健康的だと思うのですが。

 しかし今の新聞紙は軽量化され、カラー印刷の効果を高める上質紙が使われているので、昔のように必ずしも吸湿性が高いといえなくなっていますが。洋間が増え、畳の部屋も少なくなりました。ここにも近代化の余波が見えます。

(2481)時間前

 夏場所が始まりました。時間をかけて上り詰めた横綱の地位。稀勢の里関の努力は大変なもの。見事綱をもぎ取り横綱として初めての本場所は大怪我をしながらの優勝。それこそ他のことより修身の教科書に最適ではないかと思います。現在は修身といわず、道徳というそうですから少し内容が違うのかな。

 ところで最近は幕内で時間内に立ち上がる力士を見かけません。毎日すべての取り組みを見ていませんから見落としているのかもしれませんが、見ている限りですべての力士が時間前に立ち上がるのは失礼と考えているのかと思わせます。

 時間いっぱいの立ち合いまでまともに相手の顔を見ようとしないで、しきたりと考えている風にこぶしを置けばすぐ塩を取りに。あるいは本当に若い力士なんかは時間までは手順の一つと考えているのではと感じさせるほど。

 昔は時間内でも相手とにらめっこ、気が合えばスクッと立ち上がり取り組んだものでしたが。その気の合わせ方を見るのも楽しみの一つ。そういう意味でいつでも立ち上がる気迫を見せた貴闘力の相撲は面白かったし、相撲を楽しませてくれました。賭博事件で追放されたのが残念です。

 大関2人に横綱4人という番付は今までに見られない構成ですが、とにかく気合いの入った面白い取り組みをこれからも展開してほしいものです。

(2480)三題噺

 現役の頃はときどき覗いた寄席も毎日が日曜日になると行かなくなりました。不思議なものです。時間ができれば映画・演劇・寄席など好きなだけ行くぞと身構えていたのに。

 しかしテレビで放送されるものはかなり見ています。映画はすでに映画館で見たという作品が多かったのに、最近はリタイア後の封切り作が放映されるようになり、結構楽しめます。

 演劇中継は以前より減りましたが、たまに録画中継があれば録画をして楽しいんでいるのですが、寄席中継は正月以外にはあまり放送されません。それも最近落語が放送されるようになり、それが見られるのが楽しみ。

 この間見ていた落語(落語は聞くものですが、テレビで見るためこんな表現になりました)の中に「了見」という言葉が使われていました。すぐ連想したのが「忖度」です。

 国民に「忖度」することはまずないのに特定の人に忖度とは。そういう了見ではと言い返したくなるような。そこで「庇護」が。いや、そこまでは。

 といったところで寄席の三題噺を連想。あまり聞かなくなった三題噺も新しいテーマが成り立ちました。誰かが演じてくれれば聞いてみる価値がありそうです。

(2479)積み重ね

 何事も日頃の積み重ねの成果だと思います。子どもの頃から今日という日を大事にすることが明日につながると教わってきました。今日を粗末に扱うと明日その結果が表れるというのです。

 教わっても実行できないのは私だけでないような気がします。みんながその通り実行していればみんな聖人君子になっているはず。そうでないところに社会生活の面白さがあるのかもしれません。このことは社会的地位を得た人でも、後に何かの罪に問われることがあるのを見てもわかります。

 思い出だけで綴ってきたこのブログですが、書いているうちに今起きている現実に、過去の繰り返しと思えるものが少なくないことに気付きました。その中にも過去がよかったという思いと、知らずして過去と同じことを図る場合があります。

 過去の積み重ねが現在に至り、現在の積み重ねが未来につながるのが成り行き。過去を振り返って懐古心を高ぶらせるのでなく、過去に現在を融合した明日の創造が必要なのではないかと、最近の社会情勢を見ながら感じるのです。 

(2478)1ダース

 先日子供や孫が集まり孫の誕生祝をしました。バースデーケーキの執刀。全員6人です。カットをするのに娘がスマホのアプリを使って平等にカット。面白い定規がアプリとして提供されているのですね。

 そこで気がついたのは丸いものをカットするのに1/2や1/4は簡単に切れますが、1/3や1/6を正確に切り分けるのは難しい。この場合は10進法でなく12進法の物差しがあれば便利。そうはいってもケーキに分度器を当てるわけにも行かず。悩むところです。

 時間は12進法です。アナログ時計は円を正確に12区分しています。ボールペンが幅を利かす昨今、箱入りの鉛筆を買うことはありません。しかし子供が小学生の頃、1箱10本入りの鉛筆が売られていたような気がします。我々時代は1箱1ダースという単位でした。

 鉛筆の断面は円形のものと6角形のものが一般的です。4角形のものもありますが持ちにくい。指は6角形に馴染んでいるのでしょう。数字は10進法のほうがわかりやすく、12で繰り上がる数え方はわかりにくいというのは私だけでしょうか。

 現に今ダースという単位を聞くのは稀です。小さな子供に1ダース入りの鉛筆を買ってきてと頼んで通じるのかどうかわかりません。単に一箱勝ってきてというのなら通じるでしょう。

 時計は数字で表示されるデジタル式が多くなり、アナログ式はデザイン性にすぐれる置き時計が主。もっとも私は今もアナログ式の電波腕時計を。針の位置で即座に時間が読めるからです。こういうものは視覚に訴えるものが強いと思います。腕にある数字を読み取るのはつらい。

 時計といえば戦時中に24時間制が施行され、家の柱時計に13時から24時までの数字を書いた紙を貼り付けました。シールなんて洒落たものはないので紙に印刷された数字を切り離し糊で貼り付けました。しかし24時間制に慣れるまでいきなり15時といわれてもそれが午後の何時かピンと頭に響きません。記憶力のよい子供でそんな状況ですから大人はなおさら大変だったと思います。

 これが10進法であれば15時イコール5時ということになるのですが実際は3時。12進法ですから15マイナス12で3時ということに気がつくのはしばらく経ってから。しかし慣れは恐ろしいもので今では午前午後の区別がない24時間制のほうがわかりやすく、友人との待ち合わせも積極的にこの表現を使っています。駅の時刻表も24時間制で表示されているところの方が圧倒的です。

 量の単位でない時計は1ダースという言い方をしませんが、そうなるとますますダースという単位が忘れ去られた単位に感じます。

(2477)仲間うち

 疎開中耳にした「偕行社」の名は当時から何か怖いもののように思えて仕方ありませんでした。要は陸軍将校の人たちの集会所らしいのですが、当時の陸軍の権威を象徴するもののように思えました。当然軍属として徴兵された父には無縁の存在。そこに親が出入りしている子は、自分が入れるわけもないのに自慢のタネにしていました。

 戦後大阪に出てその建物を確か府庁の近くで見たような気がします。立派な鉄筋作り。そんなことを思い出したのは最近またそうした組織が活動しているとのニュースを見たからです。

 同じ釜の飯を食った仲間ということで、籍を連ねた人たちが集まり当時をしのぶのは何処でもあることです。私たちも同じ会社仲間や付き合いのあった仲間が集まり回顧談に花を咲かせます。学校の同窓会、会社の社友会なども似たようなもの、軍隊で命を賭けた同志が集まってもそれはそれで結構なことです。

 振りかえれば戦時中は大政翼賛会、大日本婦人会、在郷軍人会等々いろんな集団がありましたが、そうしたものの集まりはさすがに聞きません。子供だった私はそれがどういう組織だったかもよく覚えていません。いずれも戦時中国民を纏めるための道具だったと思います。従ってこういう会のOB会的なものは育たなかったのでしょう。

 体が弱り靖国神社にも足が一層遠のいていますが、以前あの周辺を歩いた時は靖国関連の組織、会館などが看板を連ねていたように思います。しかし戦争で父を失った私には近寄りがたい感じのところです。
 
 感じ方が違うといえば違いますが、永久雇用制が薄れた昨今、会社の社友、同人会も集まりが悪いと聞きます。社の業績如何で社員を整理できるのであれば、会社に忠節を誓う社員がいなくなって当然。

 将来会社のこうしたOB会は減少するかもしれません。一方では軍人会が復活?ギスギスした感じが強まってくるのかもしれません。めまぐるしく動き回る世界情勢ではいつまでも安穏としていられない情勢です。

(2476)バタバタ

 今は殆ど見かけず、たまに見かけても昔のそれとは全く違う用途で使われているものに三輪トラックがあります。軽自動車の分類になるでしょうか。

 エンジンをかけるのに全体重を掛けるような恰好でペダルを踏み込む姿をよく見かけたものでした。バイクもそういう恰好でエンジンをかけていましたが、最近はおとなしくイグニッションキーでエンジンをかけるのが主流。

 トラックや乗用車はボンネットの前からハンドルを差し込み、エンジンをかけていた時代です。私の初代マイカーもこの形式。結構力が要るのです。

 しかしこのため助かったのはエンストを起こした時にバッテリーの残量を気にせず動かせたこと。イグニッションキー形式に代わった時は何度もエンジンをかけてバッテリーがなくなり、他の車を止めて電力を借りる人がいましたが、ハンドルでエンジンをかけるのならそうした心配は不要です。

 自動二輪の免許を取っていないため私はバイクに乗れませんが、今スマートにバイクに乗り回す人を見て、昔の三輪自動車を動かす様子がマンガ風なのどかさを秘めていたと気がついたのです。

 農道を鍬などの農機具を積んでバタバタという音を残し走り去る三輪トラック、いかにも農村の風景にマッチしていました。

 学校仲間と「バタバタ」という代名詞で話題にしていたのを思い出します。

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