(2502)調査と謝礼

 昔調査の仕事を経験したものにとって、最近の調査で気になることを見つけました。謝礼の問題です。別にたいした額でもない謝礼を当てにしているわけでありません。現に私たちが担当したときの謝礼だってボールペン1本というようなものでしたから。

 それでも調査する側では時間を割いてくれた人に対する、多少の気持ちという意味があったのです。我が家でもたまに訪問調査を受けることがありました。電力会社やガス会社など。社名の入ったボールペンやプラ製の温度計だったり、たいした元手がかかっていないようなものでしたが、それでも貰う側は納得したものです。

 昨日調査会社を名乗り電話で世論調査に答えて欲しいと言ってきました。新聞社や放送局でなくあまり知らない調査会社の名でした。たまたま電話に出たのが家内。応答しているのですが先方は一方的に質問攻めだったようです。家内も腹を立て電話を切ってしまいました。

 私が録音された電話を聞き直すとテープ質問の垂れ流し。こちらの都合はお構いなし。ただ本来の目的以外には使わないと強調していました。その本来の目的が何を指すのかもわかりません。

 最近の調査が電話で行われることが多くなったのは、月に一度各マスコミが行う世論調査でもわかります。1,2年前に私もこの種の電話を受けたことがありましたが、テープ質問に応じてボタンを押して回答すると、最後に「長時間有り難うございました」と回答者の属性を聞いただけで名も連絡先も確認せず、先方が電話を切ってそれでおしまい。当然謝礼なんてものはありません。

 ネット時代の今時、楽天などIT企業も盛んにアンケート回答を求めていますが、何れもポイントをつけるなどのサービスをしています。たまたまコンピューターが無作為にお宅を調査対象にしたという断りだけで、一方的に質問をしてそれだけというのは、あまりにも対応した相手に失礼ではないかと考えます。

 過去にそういう仕事をしたことがあるだけに、最近の若い人の考えがあまりにも合理的すぎてついて行けません。確かにこの方法だと経費を浮かせられますがね。謝礼費の多寡の問題ではないのですが。

(2501)風琴、手風琴

 どちらも風情のある表現だと思います。昨日何気なく見たテレビが、豊橋か浜松かの楽器博物館に所蔵された風琴を説明していました。実は私はアコーデオンが手風琴と言い換えられたのは知っていますが、風琴を知りません。ところが画面を見ると何のことはない、最近楽器店にも見ないオルガンでした。今はどの学校もピアノを置いているのでしょうが、私らの頃はオルガンが各教室に。ピアノは音楽教室だけ。

 疎開地ではオルガンが学校に1台だけ。ピアノはありません。それほど高価だったのです。戦争中横文字は敵性用語と決めつけ、多くの言葉が言い換えられました。ラジオは放送受信機、野球のストライクは「真っ直ぐ」というように。しかしオルガンはどう言い換えられたのか覚えていません。

 それなのにアコーデオンが手風琴ということは知っています。いつからこういったのかは覚えていません。そうしたことを思い出させたのが楽器博物館の話。そうか、オルガンは風琴だったのか。どちらも同じような音を出すもの。

 今さらのように感心してみたり。いつまでも勉強するものですね。人間は。

(2500)オリンピックと記念切手

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 いろいろ問題を抱えながらも次回オリンピック開催の準備が整いつつあるみたいです。前回は記念硬貨の発行、記念切手も多種類発売されましたが今回はどうなるのでしょう。会場とアクセス問題ばかりでまだこうした記念発行物についての話はいまだに聞きません。そういえば前回は公式ガイドブックの発行も話題になりました。

 その時のガイドブックや硬貨類も保存していますが、種目ごとに発行された記念切手を集めてみました。まだ他にもあったはず。5+5と印字されていますから10円だったのでしょう。この頃の郵便代がいくらだったのかメモっていません。たぶんハガキ代だと思います。今月からハガキは10円値上げになり62円。物価の違いを如実に表しています。
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 スマホ全盛、簡単な用件はメールで。3年後に記念切手の運命は? かつて記念切手の発売日は朝から郵便局前に行列が出来たものでした。今回切手が発売されても、並ばなくてもということになっているでしょう。JRのオレンジカードやテレフォンカードは業者も高価買い取りをしてくれません。使うところがないのですから。
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 海外でもオリンピック記念切手が発売されたものらしく切手アルバムに収まっていました。やはり古いものばかり、私が集める気になっていないものですから。


(2499)かまど、おひつ、へっつい

 キッチンレンジをガスからIIHレンジに切り替えました。高齢者の暮らしでガスの炎が怖くなったのです。幸い我が家で失火の経験はありませんが、高齢になれば何事も安全第一です。もちろん電気工事をしてくれた人は「IHでも高熱になるので近くに燃えやすいものを置かないよう」注意をしてくれました。

 考えてみれば私の小さい頃はキッチンといわず台所、記憶に残るところは青森、大津、吉野、大阪、すべて土間に土で練り上げたかまど。当時は「おくどさん」と呼んでいました。
出来上がった料理は居間に運んで食べる習慣。父の機嫌が悪ければせっかく料理を並べたちゃぶ台をひっくり返したり。

 大阪で数カ所転居をしましたが最後に新築をしたところで始めて下駄を履かないところにガス器具が置かれました。土間がなくなったのです。東京で独身生活を始めた団地は独身寮個室入り口の半畳ぐらいのところにガスコンロが1基置かれていました。世帯用になると多少動きが取れるスペースのキッチンルームに。

 テーブルまで距離がありませんから炊きあがったご飯もおひつに入れ直す必要はありません。キッチン、レンジ、ガスと電気、ポット。カタカナで呼ばれる台所。必要に応じて電気、ガスが卓上に延長できますからおひつの出番もなくなりました。

 まさにキッチン(台所)革命です。炊事用品のみならず料理もボイルやフライにするなどカタカナに。

いずれキッチンでは平仮名が通じなくなりそうな気配も。まさかと思いますが。

(2498)レンタカー

 もう車に乗ることもないからと昨春免許証を返上して2年。とくに問題はありません。旅に出かけることもなくレンタカーの世話になることもありません。

 近くの有料駐車場にカーシェアリング制度が出来ました。私が免許を持っていた頃にはなかった、あるいは気がつかなかった制度です。当時は必要を感じなかったから。

 考えてみればカーシェアリングはさておいて、レンタカーは免許取得時からよく利用していました。最初はマイカーを持てなかったので独り立ちして始めて乗った車がレンタカーでした。その後自家用車を買うまでの半年あまり、レンタカーを借りて自分の腕が衰えないようにしていました。

 自家用車が持てるようになっても途中2度ばかりの引っ越しには小型トラックを借りて小物の荷物を運びました。レンタカーの効用はいろんな車種に乗れるため、運転技術の向上に大いに役立ったと自分で納得しています。事実、今は当たり前のオートマは教習場で習わなかったもの。我々の頃は3段コラムシフト式でハンドルの横に付いたレバーでギアチェンジ。

 方向指示器も腕木式のものが街を走っている時代ですから。乗用車は現在のタイプに替わりつつありましたが、左折などが終われば自分で元に戻さなければ自動で戻ることはしません。とにかくこういう車で教習を受けていますから、レンタカーもオートマに替わった頃はあえてコラム車を指定していたくらいです。

 そのうちすべてのレンタカーがオートマに切り替わり自分で覚えて行くしかありません。おかげでその技術もレンタカーを借りながら自然と身につけて行きました。

 スターターがなく、ボンネットの前にハンドルを差し込んでエンジンを始動するタイプのマイカーを格安に買い、踏切場でエンストを起こせばキーを回すだけで脱出する技術はそのマイカーで学びましたが、レンタカーからも多くのことを教わっています。

 結局教習場で基本的な運転技術を、レンタカーでその応用編を学んできたのが私のドライブ履歴。自分の車で本土内を走りましたが、国外はもちろん北海道、四国、九州は行き先でレンタカーを借りた方が安上がりで時間の節約にもなります。マイカーには早くからつけたカーナビもいろんなナビに慣れたのはレンタカーのおかげだと思っています。

 マイカーの普及で今まで駅周辺に多く見かけたレンタカー屋が少なくなっています。世の中がそれだけ変わってきたのだと思いますが、一抹の寂しさも感じるのです。

(2497)毛糸巻、糸巻き

 伸子張りの手伝いで思い出したのが毛糸巻や糸巻きです。戦争中だったからかまだ量産体制でない時代だからか、そのあたりのことはわかりません。とにかく既製衣料品が少なく、衣類は母が手作りで作ったものを着せられました。といっても学校の制服や肌着は既製品でした。

 セーターも母の手編み。そのため古くなった毛糸製品をほどいたり、足りない色の毛糸は新しく買った毛糸を鞠状に巻き直します。私の両手に毛糸をかけ、ボールのように巻き付けて行きます。

 母の実家では祖母が同じように私の両肘に糸束を引っかけ、糸巻きコマに巻き付けて行きます。今は家庭用糸巻き機があり1人で目的を果たせますがあの頃は子供の手を煩わせていました。

 家内に代わり手芸店に入ってみて、私の小さい頃に手伝わされた仕事の殆どが必要のないものになっていることに気付かされたのでした。

(2496)最初にきのこを食った人は

 初夏の頃山菜採りに行き熊やイノシシに遭遇した事故が絶えません。おれ、おれ詐欺と同じように危ないといわれてもつい深入りしてしまうのでしょう。

 それにしても山できのこ類を取ったり、わさびのように一見地味な植物の根を最初に食べた人は相当の勇気の持ち主だと思います。味なんてものは食べてみなければわからないものだから。たまたまそれが毒きのこということもあるでしょう。

 ふぐの内臓まで刺身にして食べる人がいるのですから、世の中はいろんな人で満ちているのはわかりますが。人類でそうしたものを最初に食べた人の何割かは命を落としているかもしれません。文字が出現する前だろうというのは想像できます。従って記録は無いでしょう。

 医学も無く、医者もいない時代のこと。動物本能で事故に遭って危険、安全が確認できるだけ。先祖の経験則を後世の人が受け継ぎ、食べられる、食べられないが選別できるようになったのだと思います。

 夏は生もの中毒で倒れる人が多くなります。こういう昔からの経験を無視してでも危険を乗り越えればまたとないうまいものと感じる人が大勢いるからでしょう。

 自分のいのちを犠牲にして食えるもの、食えないものを選別した古代人。相当の勇気を持ち合わせていたのだろうと妙な感心をしてみたりしています。 

(2495)洗い張りと伸子張り

 最近聞かない用語です。母と一緒の生活なら今でも話していたかもしれません。しかし晩年の母は普段も洋装に替わっていましたからそういう機会がなかったでしょう。着物時代の用語です。

 戦時中も和装が多かった母はたびたび着物をほぐし、道路端で洗い張りをした着物地を干していました。その時に着物が簡単にほぐせることを知ったのです。ほぐしてしまえばただの布地。

 布地の幅に当たるところに伸子という長い竹ひごのようなものを刺し、布地を広げます。糊を塗りつけた布地は皺が無いようにピンと張り詰めます。子供でも出来ることだとたびたび手伝わされました。

 手伝っているうちに面白くなり、次々と伸子を刺していったものです。もういいよといわれれば却って残念がってみたり。

 乾いた布地はまた着物に縫い直すのですが染め直しているので新しい着物が誕生します。子供の目にはそれが不思議。ほぐす前の着物と違っているのです。新しい着物を買ったようなものでした。

 東京歌舞伎座が新しくなってから歌舞伎は縁遠いものになりました。今はテレビで見る歌舞伎ですが、役者の早変わりシーンなどを見ていると、幼い頃の伸子張りで変化する着物を思い出します。

(2494)ボケの実

 我が家の庭の片隅にボケの木を植えてもう10年以上。自分で手に入れた覚えがないので恐らく家内がどこかから貰ってきたのでしょう。接ぎ木をしてあるらしく、毎年赤と白の花が同じ木で咲いてくれます。
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 ボケという名のわりにしっかりと四季を心得、春の庭を飾っています。夏は枝が伸びすぎ、隣家の庭に顔を覗かせるのでときどき先端を切っています。それなのにボケに実がなるのを知りませんでした。

 花が咲けばそのあとに実がなるのは自然なことなのに、我が家のボケの花はいつも咲き終われば花びらを落としてしまいます。あとに実がなるのを見たことがなかったのです。

 今年は幹から枝分かれする場所にゴルフボール大の実ができました。花が咲いていた場所と違うような気がしたので、何か別の実が枝股のところに引っかかっているのかと考え、取ろうとしたところしっかりと枝に食らいついています。

 よく見れば確かに実がなっている。すぐに植物事典を見ると明らかにボケの実。しかも実は果実酒にむいているとのこと。そんなに実るものですかね。我が家のはたった1個。果実酒にするどころでありません。

 横に植わっているブルーベリーは通常2株以上並べて植えるものらしいのですが、我が家は一株のみ。それでもお口汚しという程度の実がなります。夏みかんは今年も20個以上の収穫。それらに比べて1個ではどうにも。

 いろいろ言ってみてもボケの実がなったのは我が家の大ニュース。とはしゃいでいる私の方が大ボケなのかも。


(2493)茶がゆ

 急に暑くなったと思えば寒いくらいの日になったり。今日はまた30度を超すと天気予報は熱中症の注意を繰り返しています。そのせいか体調が朝からおかしい。こういう時はおかゆ、それも大和の茶がゆが恋しい。

 腹を壊したときの食事に出てくるのはおかゆ。最近は暖めるだけのレトルト食品として売られています。粘っこくて消化がよいのかもしれませんが、どうも好きになれません。茶がゆが食べたくなります。夏に食べるのは大量の汗を出すため不向きですが、それでもこのおかゆを食べると腹の調子がすぐよくなるように思います。

 茶がゆについてはこのブログでも「(216)ぶっかけご飯」などで取り上げていますが、万病薬でないかと考えるほどです。それなのに何故かキャベツの千切り、レタスのサラダなど家で皿に盛り付けるだけの食料がスーパーに置かれるようになっても、茶がゆのレトルトはまだ見たことがありません。

 無いとなればなお欲しくなりますが、子どもの頃親が作ってくれた茶がゆは結構時間がかかっていたように覚えています。自分で作るとなると番茶を包むガーゼの袋とか、常備していない番茶を買ってこなければならないし。

 面倒くさいと思って作ることもせず、過去の思い出だけが。というのは本当に好きなのかどうかも?マーク。スーパーの白いおかゆをたまに買うだけです。しかしこのおかゆは自分でも作れるため家内が伏せったときなどには作っています。買うよりは少しマシという程度のものですが。

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