(582)医学の進歩と命
長生きすればどんどん科学が発達する様がわかります。問題は科学の進歩が先か、自分の寿命がそれまで耐えきれるかということです。
そういう意味で昔の人は気の毒です。かつての偉人が今の代まで生き延びていたとすれば、かなり救われた命があったでしょうに。もっともそんなに長生きするなら科学の進歩を待つまでもありませんが。
何度も触れるように虚弱児童として扱われていた私は、小学校に入学した頃扁桃腺手術を受けることになりました。ところが扁桃腺を見るためのスプーンのような鏡を口に入れただけで吐き気がする私です。両手で力一杯そのスプーンを入れさせないよう抵抗します。
この挙動は古希を過ぎた今でも直りません。昨年春にも胸がむかつくという症状で近所の医者に飛び込み、医者はのどを診ようとして鏡を差し込みました。とたんにもどしてしまったくらいです。
へんとうせんの切除手術のため学校を休み朝から病院に連れて行かれました。順を待つ間も恐ろしくて落ち着きません。いざ手術前の検査に望むと不思議なことに昨日まで腫れていた扁桃腺が引っ込んでしまっているというのです。あまりにもおびえる私を見て神は救いの手を出してくれたのでしょうか。手術日が1日早ければ私ののどから扁桃腺が切り取られていたかもしれません。
そんな私ですから当然胃カメラなんてものは体が受け付けません。大腸検査の内視鏡は何ともないのですが。初めての人間ドックを受検したときです。疑わしきは罰すというセオリーで胃カメラを飲まされることになりました。
もがき苦しんで結局両手両足を看護婦に押さえつけられ無理矢理のどを通すのに20分ぐらいかかったのです。撮影は10分足らずで終わりましたが、こんな苦しいものは二度とやらないと宣言して帰りました。こんな苦労をしたのに結果は無罪放免です。
それ以降人間ドックでも大腸は引っかかりますが、胃はバリウム止まりでカメラを飲むに至りません。当時同僚に聞くと彼はバリウムを飲んで胃カメラでは二度手間だ、俺は最初から胃カメラにしてもらうといっていました。私はバリウムだったらおかわりをしてもよいというほうですが。
亡くなった母は死に至った病が発見された時胃カメラを飲んでいます。私が飲まされた胃カメラは相当改良され小型になっていましたが、母は初期の頃の胃カメラですから現在の大腸用カメラのように太いものでした。
しかも当時の胃カメラは多機能でなかったのか改めて開腹手術ということになります。カメラで除去できないくらい病巣が大きかったのかもしれません。そこまでしても病巣を取り除けないほど進行しているという理由でそのまま綴じてしまいました。
胃カメラを飲んだあとの母は意識が戻ってから二度とあんなものは飲まない、それだったら死んだ方がマシと泣いていました。それより飲みやすくなったというカメラを飲んだ私でも嫌だと考えるほどですから、さぞ苦しかったと思います。
ところが昨春医者の前で嘔吐してしまった私は胃カメラによる精密検査を申し渡されました。おそるおそる紹介された病院に行くと鼻からカメラを入れるというのです。これは楽でした。しかも壁に映るモニター画面を見ながら医者と会話が出来るのです。
これだったら毎年検査を受けてもいいという気持ちになり、同時に母の時代にこんなものがあればもっと早く手を打てたかもしれないのにと悔やまれました。少なくとも苦しまなくてよかったはずです。
歯医者のドリルもあの騒音が子どもの患者を泣かせます。最近は静かになり、水を注入しながらの処置ですから血溜まりもなくそれほど痛みを感じなくなりました。
長生きをすれば発達した医学の恩恵を受けることがわかっていても、それまで待てないのが命ですから辛いところです。
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