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2009年4月

(816)困るのはどっち

 豚インフルエンザは、アメリカに端を発した世界的不況同様、世界を恐怖に陥れています。何しろ新種ウイルスのため治療薬も予防薬もこれからのことというのですから困りものです。

 珍しく日本の対応は早く、WHOが動物から人間に感染の恐れありというフェーズ3から人間同士の感染もあり得るというフェーズ4に切り替わった段階で、人間同士の急速な感染が見込まれるというフェーズ5並の対応策を講じたのですから。

 アメリカあたりではそれほど深刻な状況でないという発表段階の、日本の対応は例によって-オーバーな感じを持ちましたが、こと病気に対する対策はオーバー気味であって良いと思います。

 かつて最初に人間ドックを受けたとき、疑いは罰するという方針で少しでも疑いがあれば精密検査を勧めているというセンター長の話に納得したものでしたが、それと共通したものがあります。

 そのため評価がフェーズ5になって日本政府の対応はという質問に厚生労働大臣が最初から最悪の状況を考えて対策を講じているという明快な回答。当然のことだと思います。

 問題はメキシコで発生したこのインフルエンザが、鶏と人間のウイルスが豚を介して掛け合わされ、全く新しい新種ウイルスが誕生したという事実です。従来動物の持つ菌と人間の持つ菌は全く別物との観念があったため、こういう事態が起きると改めて自然の恐ろしさを感じます。

 人間に滅ぼされないで生きて行くため、菌同士でお互いの仕組みについて情報公開をして強い菌を産み出したとしか考えられません。

 そういえば他国のIT企業が中国を相手に仕事をするなら情報を開示しろと迫ってきたそうです。各国からの批判で1年間実施を延期しましたが、いずれは情報開示しなければということです。

 好況が続いた頃の日本では企業スパイが暗躍していました。そのため企業は新製品の基軸になる部分は企業秘密として明かさなかったものです。それを堂々と要求するのですから国策とは恐ろしいと感じます。

 しかしそれがその国の方針なら、他国はその国を避けて仕事をやるだけの勢いがあっても良いのではないかと考えます。以前アメリカが日本に過重な税を課してまで、日本製品の輸入を抑えようとしたときがありました。

 そのときにも感じたのですが、それならその国を外して商売すればいいのではないかと考えましたが、企業はやはりアメリカや中国を外した仕事は考えていないのですね。実際にそれだけの強みを持てば一時期企業は苦しいかもしれませんが、相手はもっと辛い目に遭うはずです。

 要は困るのは誰かを考えれば結論は導き出せるように思います。新型インフルエンザに対応する新薬が出来ればすぐ世界の人にその情報を開示すべきでしょうし、ITのようにその普及が多少遅れても他の仕組みで代替できるのであれば、特許技術の開示は強制されるものではありません。

 開示を求める国にも独特の文化があります。それを自由に各国が手にするようになれば本来の所有国は困るはずです。いつも逆の立場になって考える、ということが必要になっていると思います。

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(815)機敏さ

 かつてはフィギュアスケートを楽しんだからというわけでありませんが、階段で蹴躓いたり、凍てついた道路で滑ったりという場面でとっさに飛び上がり、危機を脱出したことがよくありました。

 高く飛び上がれば上がるほど、斜めになりかけた体を持ち直せるのです。また体に機敏さが備わっていました。だからとっさの場合でも立ち直れたのです。

 そんな運動神経も加齢と共に消え失せるのでしょう。自分でも機敏さがなくなったように思います。幸いまだ転倒するような事故になっていませんが。

 昔から運動選手が現役生活を止めると、病気などになりやすいと感じていました。実際それまでの競技生活から足を洗い、生活環境の変化で体調に異変を起こすもののようです。

 この場合は日頃の習慣が変わったことによるもので、加齢とは違います。年齢をとれば運動神経が鈍り、どうしても行動が緩慢になるようです。骨格、神経の老化は日頃の運動と別次元なんでしょう。

 駅の階段は必ず手すりを握り、凍結した道はゆっくり歩を進めるようになりました。万一の時にジャンプする余裕があるのかどうか、たとえジャンプしても着地時に足を折るかもしれません。

 慎重さがさらに磨かれてきた昨今です。

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(814)文士劇

 文藝春秋社は同社に寄稿する文士やエッセイスト達の文化講演会を各地で開催していました。東京では年一度講演会と同時に文士達による文士劇を上演しました。当時のパンフレットにはそのリストが掲載されていますが、東京公演とあるからには地方でも公演していたのかもしれません。
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 私も何度か見に行きました。主として講演を聴くのが目的でしたが、文士劇も素人とは言えない熱のこもった芝居が見られ、見所のあるものだったのを覚えています。

 1978年の年末、講師に植村直己とイーデスハンソンの講演が組まれていました。但馬出身の冒険家植村氏はヒマラヤや北極探検の様子が聞けると楽しみにしていました。
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 正直なところ冒険家イコール話し方が上手とは限らないのに気づきました。どうも話が聞きづらいのです。あとから話されたハンソン氏は「私は一人で話すのが苦手、植村氏の聞き役をやりたかった」と冒頭に切り出されました。植村氏を傷つけない配慮だったと思いますが、本音でもあったと思います。
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 それから5年余ののちアラスカのマッキンリーで行方不明になりました。不思議なもので、そうなると改めて彼の厳寒期による単独登頂成功談を聞けないのが残念と考えてしまいます。

 講演後の文士劇、外題を見てもどんな内容で誰がどう演じたか、記憶がありません。ただ随所に出るアドリブ、さすが物書きだけあってセリフが途切れてもさっと創作する術はかなりのものと変な感心の仕方。

 たしか有名な歌舞伎俳優が演出を手がけていたと記憶していますが、堂々たる演技はなかなかのもの。個々の演技は覚えていなくとも、全体として非常に纏まった舞台だったのをよく覚えています。

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(813)還暦

 団塊の世代が還暦というニュースを時折見かけます。私の場合は還暦を迎えてはや15年。

 当然私の学校友達もみんな還暦を過ぎています。

 還暦という言葉はやはり東洋独特のものでしょう。西洋文化の中でこんな言葉を聞いたことがありません。それにしても情緒のある言葉です。

 東洋風の暦の中で自分の生まれ年が60年に一度回ってくるというのですが、自分の歳が若返ったようにも考えられます。

 かつて雑誌「暮らしの手帖」が100号ごとに1世紀、2世紀というカウントをしていたのを思い出します。その伝でいえば私は2世紀の15歳ということになります。

 人の命が長くなり、今の世の中では大半の人が還暦を無事に迎えられるようになりました。時代劇を見ればわかるように、かつての世代に生きた人たちの多くが還暦を見ないでこの世を去っているのと重ね合わせれば、医学の進歩、健康志向がいかに役立っているかがわかるようなものです。

 私の両親の還暦を私たち子ども兄弟は祝ってあげることが出来ませんでした。戦死という人為的な要因で40歳代の命を閉じた父、晩年がん細胞の病魔に襲われ50歳代で逝った母。同じ病因で次の弟も50歳代で世を去りました。

 60歳定年で会社生活に別れを告げましたが、健康な人はもう一回り上の還暦を目指す人もいます。ところがあとの一回りを生きるのは大変なことです。

 趣味だけで食べていくことは出来ません。もちろん趣味を活かして食べていく人もいないわけでありませんが、これは少数派です。

 結局子ども、孫に頼ることになり、他人を助けるどころか助けられる時代が長く続くことになります。

 世間の情況が上向いているときならそれも可能ですが、世界不況と世界にたちまち蔓延する病気。そういう環境の中で孫、子の介護を受ける生活も大変だろうと考えてしまいます。

 私たちの場合は幸いそこまで深刻な場面に直面していませんが、いずれ近いうちにそういう経験もするのではと考えれば、あまり安閑としていられません。

 つくづく長命も考え物と思うこの頃です。

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(812)多数決と話し合い

 国会審議、遅々として進みません。慎重審議と審議のスピードアップ。相反するものと考えないのですが。

 内容は密度の濃いものであって欲しいのですが、結論は迅速に出してもらわないと世界が大揺れに揺れているとき、新しい事態に対応できません。

 起きては困りますが、世界のどこかが日本にミサイルを発射したとき、報を聞いて国会を召集しようというのでしょうか。

 かつての戦争経験のない人は大空襲のさなか、いちいち対応の仕方を審議しようというのでしょうか。しかも会期が少ないから延長するとか。それなら最初から会期なんて決めなければよいのです。

 会期が長引けばそれだけ議員に対する歳費等も増えます。すべて税金です。

 戦時中の軍国日本教育から戦後教育になり、山の中の小学校でも民主主義と多数決について教わりました。

 いろいろ議論を尽くし修正を加えた上で多数決をもって議決するという方法を習ったのです。この場合折れるところは折れ出来るだけ多くの民意を加味して最終決定する。それが民主主義の大原則だということです。

 現在の国政は多数決だけをクローズアップした横暴としか感じられません。与・野党ともです。相手の言い分を聞かず自分の主張だけ押し通すのではいつまでたっても纏まるわけがありません。

 経営困難な一般企業がこんな調子で長々と役員会なんかやっていればどうでしょう。会社の方針は定まらず、銀行はそっぽを向いてしまいます。

 そこは議論を尽くし、お互いが納得できる案を早急にまとめ金融機関などに援助を求めるのが大人のやり方です。

 要するに今の国会の姿は衆・参両院とも多数党のおごりにしか見えません。子ども達のほうが話し合って解決策を見つける正しいやり方を心得ているのではないでしょうか。

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(811)年齢に勝てない 

 娯楽映画でありながら人生の機微を教えてくれたのが「男はつらいよ」シリーズでした。主演の渥美清が亡くなりシリーズは48作で終了しました。最後の作品では阪神大震災後の神戸を訪れるシーンが挿入されました。

 その後西田敏行と三国連太郎の出演する「釣りバカ日誌」シリーズが年1作の割りで制作されています。2008年10月公開で21作目。今年12月公開予定で22作目を数えますが、これでシリーズは完結するそうです。

 三国連太郎も高齢となり、いつまでも社長、会長役を務められないとの理由だそうです。1923年生まれといいますから大正後期になります。釣りを趣味としない私はこのシリーズ、展開のおもしろさでたまに見ますがすべてを見たわけではありません。
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 長期にわたる両シリーズに共通しているのは、主役、準主役が1作目から最終作まで代わりません。そのため出演者の年齢が画面に現れています。男はシリーズの倍賞千恵子はまさに年齢の経過を表現しています。

 映画の中で結婚、息子の誕生、息子が恋人を持つまでの年を経ているのですからごく自然です。しかし寅さんの実家を預かる伯父夫婦は途中で役者が変わりました。

 釣りバカシリーズでは西田敏行の奥さん役が石田えりから浅田美代子に代わりました。石田の持つ色気と浅田の開放感。あまりの違いに唖然としましたが、長く見ている間に浅田の良さもわかってきました。

 子ども時代から青年時代になれば主役も子役から大人の俳優に代わることはよくあります。しかし大人の世界だけを描く中でシリーズの主役が代わるのはまずありません。そのため俳優にすればその役名が代名詞になってしまう危険があります。

 寅さんイコール渥美清になり、他の芝居に出ても寅さんのイメージがついて回るのです。倍賞千恵子のさくらも同じこと。いろんなジャンルに挑戦したい俳優にとってはよいような悪いような。

 その点外国映画はあまり気にしないのか、ヒットした俳優でも次の作品では違う人がでていたりします。007シリーズがその典型的なものです。主役のジェームズ・ボンドに扮する役者は何人代わったことか。

 そのためいつも派手なアクションシーンが見られます。日本映画であればシリーズが長く続けば続くほどこういうアクションは演じられないでしょう。反面007シリーズでは主人公の役名と出演者名が一致せず画面を見ていてもどれが誰だか解らなくなることもママあります。

 いずれにしても長期シリーズの作品は、出演者が固定していれば高齢化が避けられず、そのためにシリーズを終えることがあると改めて考えさせられた次第です。

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(810)スポーツ記念切手

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 郵便切手と言えば昔は人物、それも日本の場合は偉人の顔でした。明治維新の立役者や文豪など。今でも海外の切手は人物が主流を占めています。

 ところが最近の日本郵便は静物のイラストなどを配したものが多くなりました。といってもさて50円切手の絵は、80円切手のデザインはと聞かれてもとっさに返事が出来ません。

 さらにやっかいなのは記念切手の類が次々発売されるため、買ってきても何の記念切手かわからなくなってしまいました。従来のようにオリンピックなどイベントに引っかけたものだけでなく、花シリーズとか郷土シリーズとか名付けていろんなデザインの切手が出回っているのです。

 ついにはたとえば結婚記念のように個人の発注も受けてくれるようになっています。かつては記念コインのように記念切手発売日は郵便局前に列が出来たものでした。

 今はそんなシーンを全く見ません。希少価値が薄れてしまったのです。古銭屋は今でも見かけますが、商売にならなくなったのか古切手を扱う店も見なくなりました。
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 これだけたくさんの種類が出回ると郵便局員もそれが本当に有効な切手なのか、単なるシールなのか見分けが難しいのではないかと同情したくなります。

 第三種郵便、それも障害者用の特別な料金体系のものを悪用する業者が出るこの頃です。まだ大きな騒ぎになっていませんが、調べれば無効切手がすでに出回っているかもしれません。

 それとも高額になりがちな証紙と違い、低額の切手は偽物を作る手間の方が大変かもしれません。高額切手もありますが、それは普段利用されないためデザインも限られています。

 そういう風に考えれば余計な心配は無用ということでしょうか。

 ところで東京オリンピック誘致でやかましくなってきました。64年の時は好景気に押され、日本中が沸き立ちましたが景気の冷え切った今はエコ問題も浮上し、庶民は冷静な態度を取っています。
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 64年オリンピックの際にも記念切手が発売されています。同じようなデザインですがよく見れば採用された競技種目それぞれを図案化しています。

 国体開催記念切手でも同じパターンを見つけました。海外のスポーツ切手と一緒に並べてみました。

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(809)天井川

 掘削技術の発達で関門トンネル、青函トンネルのように海底を列車が走る時代になりました。ドーバー海峡の底をつないで英仏間も結ばれました。

 しかし海底トンネルを通る列車に乗っていても、途中の海底駅で降りない限りそれが海底と認識できないのが実感です。海の下を列車が走っている姿が見えないからです。

 ところが天井川は違います。辞書によれば天井川とは周辺の平地より高いところを川底が通っているところを指すそうです。
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 琵琶湖の東岸を走る列車はいくつかの天井川の下を通過します。添付した写真は平凡社版の国民百科に掲載されているものですが、肉眼で列車が川底の下を通過する様がわかります。

 この場面はトンネルと言えばトンネルですが、六甲山系の海側は川が橋梁の上を流れています。本山周辺の川岸を散歩すれば橋の上から電車が通過して行く様子が見えます。

 不思議な景色です。電車の中から通過する跨線橋の上を水が流れているとは思えません。遠方から来た乗客は今の橋の上を川が通っていると言っても信じられないような顔をします。

 逆に京都蹴上のインクラインで大津から疎水と共に下ってきた船がレールに乗せられ、地上を縦断する様子を初めて見たときは驚きました。突然水がなくなり地上を船が走るように見えたからです。

 不思議と言えば武蔵野台地を流れる玉川上水。立川市内で残堀川と交差しています。しかしお互いの水は合流しません。

 玉川上水の水は一旦地下に引き込まれ上を残堀川の水が流れます。その下を通過した上水の水はすぐ汲み上げられ、それまでと同じ高さのところを流れる玉川上水として下流に流れて行きます。

 現地にある説明板にはサイホンの原理を活用しているとか。それにしてもこれだけ大量の水がサイホンで汲み上げられるものなのか。詳しく追求していませんが、不思議な風景が見られます。

 もっとも明治頃までは完全交差で船便が行き交っていたそうですから、分離されたのはその後の治水事業によるものだとのことです。

 考えてみれば水は生活に欠かせないもの。頭の上に掲げて当然です。足で踏みつける位置に置いたのは誰なのか。さかのぼって調べればおもしろい読み物になるかも。

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(808)他人の痛み

 小泉元首相は、財政再建のため国民みんなが痛みを分かち合って欲しい旨の発言を繰り返していました。借金を次の世に送りたくない思いは国民も共有しています。

 現首相も同じようなことを言いながら、とにかく今をしのがなければ未来が無いともいいます。確かに今潰れれば将来がないわけですから、それも当たっています。

 といって割り切れない気持ち。どこかが違っているのです。ボタンの掛け違いというのか。

 そもそも「痛み」といいますが、痛みを他人が理解できるものなのでしょうか。子どもが「おなかが痛い」と泣き叫んでも、親はどこがどういう風に痛いのか判断がつきません。おそらく医者でもいろんな検査をしなければ正確なところはわからないでしょう。

 血を分けた実の親子の間でも痛いとはこういうことだと的確に教えられません。子どもも親が痛いと言っているのはこういうことだろうと憶測しているに過ぎず、親の教えが正確に伝わっているのかどうかはわかりません。

 自分自身がその親から教わってきたことさえ、正しく伝わったのかどうか疑えばきりがありません。数学とか国語は正しく教え、教わることが出来ます。しかし痛みとか痒みとかいうのはどうなのか。

 実の親子であっても血液型が異なるのはよくある出来事です。もともと他人であった男女がそれぞれの血液を二人の子どもに伝えるからです。そこで子どもは親から独立してしまい、親の遺伝子を受け継いでもすべてが同じにはなりません。せいぜい親に似た性格といわれる程度です。

 私自身もみんなが言う肩の凝りというのが今ひとつよくわかっていないのが実情です。確かに加齢と共に長時間デスク仕事なんかしていれば、肩が重苦しい感じになります。それが大人達のいう「凝り」なのか?

 かつて会社の旅行会でみんながあんまを頼みました。同じ会費のうちならと私も揉んでもらったのですが、あまりのくすぐったさに途中でリタイア。気持ちよいと感じません。

 その後年を経て家族旅行。なんとなくマッサージを。少々痛いのですが気持ちよく感じるのです。マッサージ師は相当肩が凝っていますねとのご託宣。やっと凝るというのはこういうものかと推測。でも果たしてその現象をいうのかどうか。

 それほど人の痛みは理解しにくいものなのです。それを今時の政治家のように簡単に「あなたの痛みはよくわかります」なんて言って欲しくない気がします。

 豊臣秀吉のように庶民の生活から這い上がった将軍ならまだしも、はじめから経営者の道を歩いてきた人に庶民の生活がわかるはずがありません。

 正確に言葉を選んで使って欲しいと考えます。

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(807)8ミリ映画から

  映画も動画も同じことに違いありません。ビデオ時代になり映画のようにフィルムの一コマ一コマを切り抜くことは難しくなりましたが、結局はたくさんのコマを早く動かすことで動いているように見せているだけです。
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 錯覚することは世の中にたくさんありますが、映画の一コマだけを切り抜きスチール写真のように眺めても鑑賞眼を満足させてくれません。

 そういう意味では私が保存している8ミリ映画をブログに貼り付けてみても何の感興も催しません。かといって動画としての公開は被写体になっている人々に迷惑を掛ける恐れがありますので、あえてコマ撮り写真として掲載しました。

 当たり前のことですが目の錯覚を応用した映画です。ましてや素人の私が撮った映画、8ミリ経験の浅い私の撮った映画から鮮明な写真を起こせません。拡大するなんてとんでもない話。
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 携帯電話用サイズに縮小してもどういう場面かはっきりしていません。ただ昔の風景がいくらかは想像できるかもしれないと考え、あえてここに並べてみました。

 63年頃の芦ノ湖と箱根、いつも姿が見られない富士山が姿を見せてくれました。

 65年のマニラはすでに交通渋滞が始まっていました。セブの寺院は周辺の景観とよくマッチしていました。
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 70年、大阪で開催された万国博は何度か行きましたが、いつもお目当てのパビリオンは長蛇の列。印象に残ったのは太陽の塔。岡本太郎の作品はその奇妙さにいつもびっくりですが、太陽の塔の顔も見れば見るほど訳がわからなくなります。不思議な顔です。
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(806 )駅

 何度も取り上げますが駅は哀愁の漂うところです。出会いと別れがそこにあります。

 大阪駅のように昔から多数の乗降客が行き交うところでも、ホームでの母との別れが忘れられません。夜行列車が動き出すとホームの母も手を振りながらついてきます。

 同じような場面は終着駅の吉野でも経験しています。あのときは主客逆転していましたが。

 バス停でもそういうことが。今は亡き弟を預けられていた山奥の伯父のところに送り出すとき。夏の間だけ1日3往復しかないバス。各地に向かうバスが出発するターミナル。といっても田舎ですから現在高速バスが頻発するようなターミナルではありません。

 別れを嫌がって泣き叫ぶ小学校入学前の弟を無理矢理バスに置き去りにして発車間際に飛び降りた私。終着停留所には伯父が迎えに来てくれているはず。話を通じている車掌が途中での乗り換えなど心配するなと親切にいってくれています。

 東京でも上野駅で似たようなシーンを目撃したり、新聞記事で読んでいました。なぜか上野なんですね。流行歌の歌詞でも。

 駅といえば都会では殆どホーム間を跨線橋で渡しています。しかし当時の地方駅は殆どが線路を渡るように設計されていました。列車が発車しなければ改札に向かえません。もちろん終着駅は車止めがありますから別ですけれど。

 中にはホームの中程に鉄板が渡してあり、列車がホームを離れると鉄板をあげて石段からレールにおり、反対ホームに上がるという形のところも多くありました。

 そういうところも今は跨線橋になっているところが増えたようです。たとえ普通列車が止まらなくても特急がたくさん通過するようになれば安全面からそうせざるを得ないのでしょう。

 といっても地方路線で未だに1日数本しか列車の通らないところは昔のままの駅も残っているそうです。

 木製の改札口、列車が来る時間しか開きません。寂しいけれどぬくもりのある改札口でした。

 乗降客の多い駅が人の集まる場所として見直され、ショッピング施設やコンサートなど催事が開かれるようになりました。外国映画でさえ出会いと別れがよく描かれた駅。様変わりしたものと思います。

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(805)経済通?

 日本の偉い人は数兆円単位の金を惜しげもなく世界にばらまいてきます。世界平和のために貢献するなら我慢も出来ます。しかし特定国を援助するためなら反対です。なにか必要以上の見栄を張っているように見えて仕方ありません。

 日本はそんなに金持ちではないのです。国民からの借金で成り立っています。赤字になれば国債を発行して糊口をしのぎます。そのため世界からの評価は下がる一方です。アジアの中心は中国かインドに移ったと外人記者達は見ているそうです

 そもそも借金を誰が返すのでしょうか。先の世に送りたくないから現状をしのげば増税をすると伏線を張る人がいます。当然のことでしょう。将来の若者がなぜ先祖の作った借金の後始末をしなければならないのか。

 問題は現在生を得ている人の代ですべて帳消しに出来る額なのか。小泉内閣が国民に不便を強いて借金を消そうとした努力を水の泡にしてしまいそうです。

 それにしても本予算に並行して補正予算を次々繰り出す内閣だと寒心します。国民でさえ歓迎しない給付金をはじめ、モノを買えば国が何パーセントを補助するとか。何十年か前のどんどんモノを買って古い物は捨ててしまえといった時代の再来です。

 一方ではエコ時代と称して物を捨てないように指導しながら矛盾した話。新しい政策はいずれも短期的なもの。中長期の展望に立つものではありません。いかにも目前の選挙を意識したその場の思いつきありあり。

 借金のない健全財政の中で、国民みんなが満足した生活を送れるのが裕福な国と言えるのではないでしょうか。そういう国であればこそ子供を作り育て、一層国力を蓄えようとみんなが努力するでしょう。

 健康な意味での経済社会はそういうものだと考えます。

 今生まれた子供が成人するのに少なくても十数年はかかります。その出生数は年々減少傾向。近いうちに国民総数は1億を切ろうとしています。日本に生まれてくる子供はこの世に顔を出したとたん、100万円以上の借金を背負う計算になります。

 自分のまいた種ならあきらめもつきますが、その返済は親がまいたものです。しかもその額は現在の試算内に収まる保証がありません。来年も再来年も借金を積み重ねる恐れがあるからです。

 現首相は経営者だった立場から経済通を自負され、経済の立て直しが何よりも優先すると明言されています。私も同じように考えますが、経営者の立場だけでなく従業員の立場からも考えて欲しいものです。

 労働者数は経営者数よりも遙かに多いのです。農業、商業などに携わる労働者数は選挙の票田としても無視できません。選挙を意識するなら安心して働ける職場環境充実のために貴重なお金を使うべきです。

 人材派遣も本来は定年退職者の持つノウハウを活用するためのものだったはずです。それがいつの間にか安く労働者を使うための使い捨て感覚に変わってしまいました。それが企業の景気に左右され多くの失業者を生む原因になったと考えられます。

 その場限りの景気浮揚策でなく地に足のついた政策、確固たる財源に基づいた景気振興策が望まれるのではないでしょうか。

 定額給付金も生活に困窮する国民への低額還付金と理解した方が良さそうです。経済通の為政者が言葉を間違えたのかもしれません。

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(804)珍しい鉄道会社 神戸高速

 私が入社した1957年、社の横を通る国道2号線を神戸市電が走っていました。同じ軌条上を大阪の野田に通じる国道電車が三宮まで乗り入れていたように覚えています。あるいは国道電車の終点東神戸で折り返していたのか。その記憶は曖昧です。

 それはともかく、大阪から神戸までの約26キロ、国道上を走る路面電車というのは全国でも珍しい存在だったと思います。並行して阪神、国鉄、阪急と3つの電車が当時から30分前後で阪神間を結んでいるのに、1時間以上はかかるであろう国道電車を阪神が経営していたのです。

 東京の都電が姿を消すのと前後し、神戸市電も国道電車も姿を消しました。大阪から通勤していた私はついに1度も乗れませんでした。

 大阪には地下鉄御堂筋線が早くから通じていました。天王寺までだった路線は我孫子方向に延伸されました。しかし京都、神戸には当時まだ地下鉄はありません。

 58年、神戸に地下鉄をという声で神戸高速鉄道が設立、建設中に水害という難があり10年後の68年から営業運転を始めています。のちに神戸市営地下鉄も完成しましたが、それとは別法人になっています。

 興味深いのはこの鉄道、現状は知りませんが開業当時自前の車両も乗務員もいません。あるのは軌道と駅舎、区間内の保線、駅員などの管理従事者だけです。阪急、阪神、山陽電車と神戸電鉄が相互に乗り入れ、高速会社はいわば通行料を受け取るという考え方です。

 乗り入れといっても神電だけは狭軌のため、広軌の他社と乗り入れできず新開地で各社と連絡しているだけです。

 大阪で近鉄、京阪、阪神など私鉄各社が地下鉄をつないで相互運転を始めています。神戸高速は駅と路線だけの管理というへんてこな会社ですが、この線路を通すと私鉄だけで名古屋から姫路まで直通運転が可能になります。

 実際に各鉄道会社がこんな計画を実行するかどうか疑問ですが、理論上は成り立つ案でJRに対抗するプランとしてもおもしろい。飛行機のチャーター便ではありませんが、旅行会社が車両を借り切ったツアープランを企画すれば実現性があるのでは。

 そんなくだらないことを考えてみました。

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(803)新入社員と花見の場所取り

 春。景気が良ければ大勢の新入社員が入社式で社長の講話を聞くところです。不景気もきわまれりという今年はどうだったのでしょうか。

 東京に来て新入社員の仕事に花見の場所取りがあることを知りました。関西では聞いたことがなかったように記憶しています。

 私たちも部員全員で須磨の山手にある池の畔へ花見に繰り出したことがあります。予約してあったのでしょうか、池畔の茶屋で楽しい時間を送りました。それ以降は全員が揃う職場でなかったこともあり、個人同士の花見は別として、部単位の花見はありません。

 東京でも部で花見に出かけたことがあっても場所取りなんてことは。新聞で多くの会社が上野公園の場所確保に新入社員がかり出されていると知り驚いたものです。厳しい入社試験をくぐり抜けてきた社員に早朝から場所取りの業務命令を出すとは。

 全国から人材が集まる東京ならではのことなのでしょうか。お互いを知り合うための行事として必要だったのか。

 社員を拘束しなくなった今年あたりはそういう習慣が薄れてきたかと考えていましたが、やはり中小企業などで同じようなことが繰り返されていたようです。

 しかし新入社員をあまり採らなくなった昨今、場所取りの仕事は誰がやるのでしょうか。社員親睦の旅行会に参加する人が少なくなったという時代です。会社より家庭重視の社員、永久雇用の習慣が薄れてきた企業。

 時の流れは人間関係を大きく変えてきたように思います。花見の場所取りも会社より家庭のためにと目的が変わってくることでしょう。そうなれば徹夜や早朝から詰めかける人もいなくなるような気がします。

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(802)根回し

 81年に神戸でポートピア博が半年間開催されました。期間中に1,600万余の観客を集め地方博覧会として大成功を収めました。

 その前年ポートピアを盛り上げるべくヴァチカン展を誘致したいと社の事業関係者が動いていました。同時に博覧会会場内でダイアモンドの原石を展示しようという企画も関連会社で持ち上がっていました。

 ところがヴァチカン展は大手広告会社がすでに同じ企画で動いていました。他に情報が漏れないようにそれぞれが動くため、企画がかち合っているのにお互いが気づかなかったのです。このような企画は必ずどこかでかち合っているものです。

 ダイアモンドの一件も、世界のダイアを牛耳る英国の会社が日本展開について某大手広告会社に委任していました。
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 この種の事業は東京での根回しが必要になります。ところが在京の私たちにも情報が伏せられていたため社内の動きは全く知りません。広告会社側からの問い合わせで初めて知る始末です。

 ヴァチカン展のような事業は地方だけで終わらせるのはもったいないという考えがあります。結局その広告会社がそごうのバックアップで神戸など全国を巡回展示することで収まりました。

 写真はヴァチカン展東京会場で記念品としてもらった切手集です。それにしても一つの企画を成立させるために、それが実現するまで内密に進めなければ他に先を越される恐れがある一方で、関わり合うところが多様になれば関係先への根回しがおろそかに出来ないことも教わりました。

 極秘で動いていても回り回って予期しないところに情報が伝わっていることがあるのです。

 北朝鮮のミサイル問題でも、ポイントを押さえ切れていない日本が空回りしているように見受けられ、そんな経験を思い出しました。

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(801)半ドン

 正規社員でも突然解雇される時代です。それでも週休2日制などは維持されているのでしょうか。

 もっとも私が勤務したマスコミ産業は会社としての休みがないところです。当然どういう日でも交代勤務ということになります。

 休刊日は販売店の休日であり、新聞を発行しませんから制作関係は休めます。しかし編集、営業にかかわらず取材部門や事業関係に休刊日はありません。

 といっても現実には交代で休暇を取り週休2日制は確保されました。でも他の同僚が働いているときに休みを取るのは気が引けます。

 入社当時は週休2日でなく、6日就労して1日休むというローテーションでした。すなわち週休1日です。その代わりというのか、社会部のような部署でなければ土曜日は半ドンでした。午前中の勤務で仕事が終わります。

 しばらくして半ドン実施職場は交代で隔週土曜日を休む、勤務者は1日フル就労という形態になりました。労働時間数は変わらないのですが、半ドンというのはいかにも不経済な制度だったのです。

 会社まで1時間程度かかる人はザラにいます。往復2時間かけて3時間程度の就労では仕事は中途半端、帰宅してもこれといったことが出来ません。それならというわけです。

 世間の週休2日制が定着し、私たちの会社もその制度を取り入れました。それでも職場によって仕事の内容が違い一律にというわけに行きません。

 土・日を休むのでなく5日勤務、1日休みというローテーション制を取り入れた部署もあります。交通機関もそういう形態になっていると思います。

 世界は絶えず鼓動を続けています。通信手段の進歩で1日24時間、あらゆる種類の情報が入ってきます。こうなると殆どの産業が休めなくなっています。

 「半ドン」という言葉は私がリタイアしたためかあまり聞かなくなりました。もともと土曜日半日営業という意味を持っているのですから、今時そういう就業形態がなくなっているのかもしれません。学校は別かもしれませんが。

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(800)使わぬ記念切手

 記念貨幣、記念切符、記念切手などいろんなイベントの度に記念品が発行されます。殆どが死蔵されますから発行者は丸儲けになります。使わない方が悪いといえばそれまでですが、そういうものは使いづらいのも事実です。
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 毎年年賀はがきの賞品として発行されるお年玉切手もその一つ。退役した今でも毎年100枚以上の年賀はがきを受け取ればそのうちの1、2枚はお年玉切手が当たります。運が悪ければ1枚も当選しないこともあります。

 100枚に2枚は最下等の切手が当たる確率です。私が買って出す方では必ず2枚以上の当選はがきがあるはず。しかしもらう方は必ずしも下2桁が00から99まで揃うわけでありません。

 下2桁同じ数字が複数枚もあれば全くない数もたくさん含まれています。それが当たれば複数の賞品が頂けるのにそういう数字に限ってなかなか当たりません。

 お年玉はがきは1936年より発売され、戦時中の中断後1949年に復活したそうです。私の手元にあるのは上京後のものですから大阪時代のものは残っていません。
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 毎年当選という吉運に恵まれませんから、すべて揃っていません。しかし当選した切手を使わず切手アルバムに残していたのを並べてみると写真のような具合です。

 賞品になる切手は通常当時のはがきと封書の基本額です。郵便料金値上げの状況がわかります。消費税の実施された当初は1円とか2円という端数が加わっています。その後の値上げできりの良い値段に戻りましたが。

 絵柄は干支を描いたものが圧倒的に多くあります。その中で昭和62年から平成2年までの60円切手は折り鶴で統一されています。毎年違うデザインを考えられなかったのでしょうか。ここ数年の切手台紙は干支を文字で表現しています。

 ところで金額換算でもおかしな点が。昭和37年頃はおそらくはがきの料金だと思いますが5円切手4枚、総額20円です。それが30円、40円、80円と年々増額されてきたのはうれしい話です。
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 昭和62年に100円、平成2年は消費税分が加算された103円。どういうわけか平成3年は82円に落とされ平成5年に103円に戻っています。

 大蔵省印刷局印刷の文字は財務省印刷局、国立印刷局と変わっています。役所の呼び名がめまぐるしく変わるようになった表れがこんなところにも見られます。

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(799)エイプリルフール

 会社の現役生活が終わると世間の雑事からも解放されます。

 私の現役時代、外来の風習が日本にも根付きました。クリスマスのような宗教的行事が飲む口実になりました。

 女性の社会進出に伴い、バレンタインデーという訳のわからない行事が付け加わりました。おかげでチョコレート大好き人間にとっては労せずして大量のチョコレートが手に入りました。

 これが適当に分散されて頂けるならなお有り難いのですが、1日にまとめてもらうと消費しきれません。あなたはたくさんもらえて良いが自分にはわずかの義理チョコしか来ないとこぼす友人がいました。私だって義理チョコばかりです。

 そのうちホワイトデーなんてものを誰かが考え出し、お返しが大変なことになります。

 こんな悪習の前からエイプリルフールという習慣も輸入されました。バレンタインデーは社会人になってからのものでしたが、エイプリルフールは学生時代から普及しました。

 他愛のない嘘、こういう遊びを私は好きです。嘘も相手を深刻にしてしまうのはよくありません。騙されたとすぐにわかり合えるのがよいです。

 そんな軽い嘘ですから、素晴らしい嘘と今でも記憶しているものがないのですが、その瞬間には大声で笑ったり、この野郎と相手を追っかけたりしたことを思い出します。

 しかし度を過ぎた嘘、すぐに騙されたとわからないようなものは困ります。とくに最近はやりの食品偽装や嘘で固めた議会答弁は頂けません。振り込め詐欺なんかはもっとも悪質な部類に入ります。

 バレンタインデーもエイプリルフールも会社生活を終えれば縁が薄くなりました。それにしても虚偽、欺瞞に満ちた時代になったと感じます。人が信じ合えなくなれば社会構造が成り立たなくなると考えるのですが。

 お互いが信じ合える社会になって欲しいと思います。

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