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(821)ラジオアナとテレビアナ

 アナウンサーについても過去何度か取り上げました。

 たまたま先日NHKラジオの「ラジオ特集」をなんとなく聞いていました。TBSラジオで名を売った大沢悠里、ニッポン放送出身の亀渕昭信氏らが登場、ラジオの持つ想像力について話していました。

 1日中ぶっ通しの番組ですからすべて聞いていません。ゲストもたまたま聞いている時間帯に出た人だけですから、ラジオをメインにしている永六輔が出演したかどうかわかりません。

 たしか永六輔も現実を見せてしまうテレビに愛着を持てないというような趣旨の発言をしていた記憶があります。受験勉強をラジオを聞きながらやっていた私です。夜遅く静まりかえった山中の部屋は、ラジオでも聞いていないと怖くなってしまうのです。

 周囲からよく、ラジオを聞きながら勉強できるわけがないとスイッチを切られました。想像力をかき立ててくれるのはなんといっても活字です。ラジオはまだ、声という現実のものが存在しますが、活字は声も絵もありません。

 活字から描かれる世界はすべて自分の頭が作った世界です。だからこそ同じ題材を取り上げた複数の映画が、それぞれ違った作品として評価されるのです。監督の解釈がそれぞれに違うからです。

 活字とは違いますが、声だけで聴取者の頭に映像を描かせる話術、素晴らしいと思います。かつては徳川夢声の話術に堪能させられました。

 ラジオのアナウンサーも声が命です。台本がなくても話さねばなりません。テレビでしばらく声のない時間があっても、絵が映っていますから視聴者側では気にしません。ラジオでしばらく声が出ないとラジオの故障かと思ってしまいます。

 ラジオやテレビのアナウンサーに司会の仕事を頼んだことがあります。私自身は放送人でないため放送界のルールをよく知りません。打ち合わせも新聞サイドで進めてしまいます。

 ラジオアナは番組の構成、進行の概略だけで要点をつかんでくれました。しかも出演者がトラブルで延着した時間帯もしっかり締めてくれました。

 テレビアナの場合は細かく書いた進行表を要求してきました。四角四面なものでなくこういう感じで進めてもらえばよいといっても納得しません。相手の方が強かったのか、結局徹夜で進行表なるものを書いた覚えがあります。

 幸いハプニングが起きませんでしたが、もしそういうことがあればどういう風に対処したでしょう。テレビはいつもその現場が写されているところから、きちっとした演出が必要なのだと思います。アバウトがよいと言えませんが、とっさの時の反応はアバウトの方が対応しやすいのではと考えてしまいますが、これも素人考えかもしれません。

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