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2009年6月

(850)お歳ですから

 何度言われた言葉でしょう。「お歳ですから」

 最近寝ている間に背伸びをするようになりました。背中が曲がってきたため仰向けに寝られず横になって寝返りを打ちます。

 時たまグッと背筋を伸ばそうとします。そのとき太ももあたりにけいれんを起こします。いわゆる足をつってしまうのです。

 これが堪らなく痛い。思わず立ち上がってケンケンを。あぁ!ケンケンなんて懐かしい言葉。子どもの時のよく遊んだものでした。

 そんなケンケンではありません。とにかく痛くって飛び上がった結果のケンケンです。

 医者に行って症状を話します。「ああ、それはお年のせいです」。またしても歳のせい。

 友人なんかにそんな話をするとみんなそういう経験があるようです。年齢を重ねればとっくに耐用年数を過ぎた体はいろんな反応を示すようです。

 白内障に始まり、網膜剥離、難聴、歯の弱り、胸のつかえ等々。みんな歳をとれば起きる問題だそうです。膝の痛みなども同じことだと。

 年齢が原因となると目立った治療は殆どしません。当座の措置はしてくれても「また痛みが出たらいらっしゃい」という言葉で送り出されてしまいます。

 ある医大教授が「神様は人生60年を想定して体の臓器を作り出された」と言っていた言葉を思い出します。

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(849)冤罪

 裁判員制度が始まったというのに冤罪というのが最近よく報じられます。

 前から感じていたことなのですが裁判官も人の身、自分なりの考えもあるでしょう。思想も持っていると思います。

 最近の判決の大半は判例を元にして個々の訴訟に対応して行くようですが、それなら判例の最初になる判決はどういう基準で示されたものか。一応たくさんの法律条文を組み立てて判決文を作るのだと思いますが、法科を出ていない私にその詳細はわかりません。

 問題は原告側、あるいは検事側があり、被告側と対峙します。判事、検事、弁護人それぞれが、その日の感情を抑えながら裁判に臨んでいると考えますが、神ならぬ人間の身ではどうしても今朝あった喧嘩なり、気分の良し悪しが残っていると思います。

 そうした気分が判決に直接反映するとは考えられませんが、全く無関係とも言い切れないような気がします。

 法律の専門家でない一般人が裁判員に指名され、免れることが出来ずうんざりした気持ちで出廷したとき、どういう判定をするのか心配です。

 滅多に見られない再審で逆転無罪判決を勝ち取るケースが往々にしてあります。ある刑事事件があったと言うことは疑いようのない事実ですが、逮捕された容疑者が必ずしも犯人でないところに悲劇があります。

 足利事件と言われる冤罪事件にしても事件発生とどこかに真犯人がいるのは間違いないのですが、たまたま時のDNA鑑定の誤判定が元で無期懲役服役中だった容疑者。やっと再審が認められ無罪判決を得るところまで来ましたが、彼を犯人と信じるあまり警察側は真犯人を取り逃がしているのです。

 私はこういう場合どうも合点が行かないのです。一人の容疑者を拘束すればもう捜査本部は解散し、他の視点から見たとき捜査線上にのぼった人は追わないのか。

 殺人など凶悪犯罪の場合の冤罪は怖いと思いますが、あまり大きくして欲しくないとみんなが口をつぐんでしまう電車内などの痴漢事件。庶民の誰もがはまりそうな事件です。

 私自身も通勤時代に経験していますが、あの満員電車内で若い女性のそばに寄るのも離れるのも思うようにならない中で、触った、触らないなんて争うのも至難の業だと思います。要するに動きが取れない世界です。

 あの頃は振動で手があたったとしても通常「ごめん」の一言で済んでいました。意識して手があたったりしたわけでないのですから。最近の記事を見ていると衣類の中に手をというような書き方になっていますから、以前より車内の余裕が出来たのでしょうか。

 せっかく設けられた「女性専用車」に乗る女性客が少なく、わざわざ混んでいる車両に女性も乗り込んでくる時代でした。結局当時の女性専用車は廃止になりました。

 今は女性が痴漢容疑者の腕を捕まえて事務所に連れてくると言うことです。このこと事態は女性の行為に尊敬の念を持ちます。しかし気になるのはそれが本当に当事者かどうかと言うことです。

 後日談を聞いていると公判に持ち込むと女性も顔が外に出る、男性は会社で働けなくなるなどの理由をつけて示談にするケースが多いそうです。金銭で解決しようというのです。

 犯人に擬せられた男性が「絶対やっていない」と言い張っても、取調官は「いくら強がっても反証がないのだからおとなしく罪を認めろ」と矛を収めるよう説得するという話もあります。

 微罪だと言えばそうかもしれませんが、その結果仕事を奪われるケースが多くあるそうです。人の一生を左右する場合だってあるのです。しかも無実の罪で。

 実際に争って無罪を獲得する人は少なくないそうです。被害者側が小遣いほしさにそんな芝居をやると聞けば冤罪被害者がどれぐらいいるのか。さすがに最近は痴漢容疑に対して慎重に調べるよう通達がでたとのことですが、当然のことです。

 我々でもいつ疑われるかと思えば混んでいる電車には乗らない、どうしてもと言う場合は両手でつり革にぶら下がるようにしています。

 冤罪判決が出たときには国から補償金、賠償金のようなものが支払われるそうですが、これも合点の行かない一つ。

 疑われた人は収監中の時間を返して欲しいという願いがあるでしょう。足利事件では年金問題にまで派生しているようです。それは当然です。

 ただその資金を税金で払うのはいかがなものかと考えます。誤判をした検事団、判事団が私費で支払うのが本来ではないのですか。

 そこまで厳しくすれば裁判員になり手がいなくなってしまいます。それも困りますが、少なくともこういう考えを根に持っていれば、冤罪事件もいくらか解消するかもしれません。

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(848)事実は小説より奇なり

 社団法人全国信用金庫協会が毎年募集する「ありがとうの手紙」。過去2年の入賞作品を読んでみました。すべて素晴らしい内容です。

 いかにもお涙ちょうだいというようなものだったら、私は読みません。押しつけられるのはいやです。

 しかし入賞作にある内容は読んでいて自然に泣けてくるのです。悲しい涙だけでなくうれしい涙も。

 親や子どもに感謝する人、友人に「ありがとう」という人。人生いろいろです。

 今突然私にこんな課題を与えられると、とても今回読んだような内容のあるものは書けないでしょう。そもそも何に「ありがとう」といって良いのか、咄嗟に思い出せません。

 この世に感謝するものがないというわけでありません。むしろありすぎて脳中が纏まらないのでしょう。

 だいたいこういうものは実体験がなければ書けません。頭の中で考えるだけでは、文章そのものが如何に旨く表現されても、読者の共感を得ることが出来ないでしょう。

 名司会者高橋圭三アナは「私の秘密」という番組を「事実は小説より奇なり」というセリフで始めました。事実だからこそ訴える力があるのです。それは事実を知っている人にしか表現できません。

 入賞作にはそれぞれ筆者の思いが込められています。そのことが読者の胸を打つのです。

 それにしてもとくに最近、感謝の念が薄れてきたように感じます。私自身もそうですし、周りの人たちにもそういう気配が見えるような気がします。

 電車の中、優先席で座っていた若い人が前に立ったお年寄りに、席を譲る姿を見るとほのぼのとした空気を感じます。本来当たり前のことなのですが、それが珍しい世の中です。

 抵抗できない老婆を襲うひったくり。連日のように報道される高齢者家庭の殺人事件。そんな話題の多い中で、しんきんのキャンペーンはそれこそ「ありがとう」と言いたくなる企画です。

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(847)下流にモノが貯まる

 昔から河口地域に都市が生まれています。当然そこは港が建設しやすく港湾都市として発展してきました。ニューヨーク、ワシントン、ロンドン、香港、東京、大阪等殆どの都市が当てはまります。

 川下では大河となる川も上流は山の雪解け水が土中からしみ出るところから始まります。澄んだ冷たい水、清流にしか棲まない魚が泳いでいます。

 途中いろんな要素を加えて淀んだような水が流れ込み川幅を広くし大河になります。上流から運んできた土砂が堆積し新しい土地が生まれ人が住みつきます。

 要するに河口地域は不純物も含めた物体が集積する地域と言えます。すでに上流に見られた純粋なものは見られません。逆に言えばいろんなものが混ざり合って生まれたのが都市なのかもしれません。

 不純物が多いからこそ生命力が強く生活力が旺盛という活気を見せます。純粋さだけでは生きて行けないのが現実です。

 そんなことを考えていると東京というマンモス都市の性格もわかるような気がします。純粋さを忘れない田舎に生まれた人たちが、成長過程で雑とも言える知識を蓄え川下に流れ着いたのが東京なのです。

 なにも東京に限ったことではありません。まだ訪れたことのない中国もテレビで紹介するのを見ていると、地方では人情厚い人たちの皺だらけの顔が写ります。その人達が河口の大都市に集まると活気こそあれ、少し油断をすれば食われてしまう過酷な都市社会の様子を映し出しています。

 地方ではあれほど人間性豊かだったはずの人が一変しているのです。これはどこの国でも同じでしょう。

 大都市は下流なのです。下流にはいろんなものが流れ着き、それが堆積されて行きます。小さな川が合流し大河を形作る。違った環境に育った人が集まり大きな知恵を作る。

 人間社会は川の流れのようなものだと感じます。

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(846)早い者勝ちの同一駅名

 奈良県内を走る主要鉄道はJR と近鉄だけです。それもあの広い県内の北半分だけ、南半分、すなわち吉野郡内の大半は鉄道網がありません。

 戦時中は吉野の杉材を軍用に供出する名目で、五条から新宮に至る鉄道建設の話が持ち上がりましたが、結局終戦を迎え一部用地買収にかかっていたにもかかわらず沙汰止みになりました。

 国鉄和歌山線と紀勢西線を結ぼうという計画は、戦後も地元民の強い要求がありましたが、採算性の問題で実現せず代わって道路が整備され、大和八木から新宮まで日本最長の路線バスが走っています。

 私が中学に通っていた頃は単に「八木」といっていた近鉄の駅、「大和八木」が正式名称だそうです。

 気をつけてみれば奈良県内の駅名は「大和」のつくところがやたらにあります。上市,高田,新庄、小泉、西大寺、朝倉、二見といった具合です。いずれも頭に「大和」がつきます。

 国鉄時代まで官営鉄道の中は同一駅名をつけないのが決まりだったそうです。確かに都市名でも同一名をつけないようにしていました。新潟に高田市があれば奈良は大和高田、福島に郡山があれば奈良は大和郡山となっています。

 それなのに「大和郡山」駅が無く「郡山」と名付けているのは異例です。

 いずれにせよ早く名をつければ、あとから出来たほうは旧国名をつけるより仕方ありません。ということは鉄道建設も奈良は後回しになっていたのでしょうか。奈良県に縁ある身としてはつい僻みたくもなります。

 最近は同一駅名に縛りが無くなったのか、国鉄が民営化され東西等の別会社になったからか、東日本管轄、西日本管轄それぞれで「郡山」を仲良く名乗っています。

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(845)奈良と京都の寺院

 古都奈良・京都は多くの寺院があります。といっても都道府県別では案外多くないのも事実のようです。有名な大寺院があれば道ばたにお地蔵さんだけという、あるいは個人的に宗教法人だというところもあって、正確な統計資料が無いのが実情です。

 PR力ということもありますがいわゆる有名寺院はやはり奈良・京都に集まっていると行って良いのではないかと思います。

 一般に観光客が訪れる奈良・京都は府・県の意味でなくそれぞれの市内を指しているようです。大都市の京都はもちろん、奈良も休日に行けば観光客の多さに驚かされます。

 しかし少し市街地を外れると人通りが少なくなります。信心心の厚い人ならともかく、一般観光客は不便な郊外には足を伸ばさないのです。セットされたツアーも時間を気にしてあまり不便なところをコースに組み入れていません。

 そんな風潮になると奈良は京都に比べて不利です。なぜなら京都の有名寺院は殆ど市内に配置されています。狭いエリアの中をJR,私鉄、地下鉄などの交通機関が網の目のように走っていますから限られた時間内により多くのスポットを訪問できるのです。

 一方奈良の有名寺院は県内のあちこちに点在しており、JR と近鉄に頼らざるを得ません。しかも奈良市内から橿原市の方に向かうにはJR か近鉄を乗り換えて行かねばなりません。

 いずれも相応の時間を食ってしまいます。東大寺、興福寺、西大寺、薬師寺、法隆寺、斑鳩寺を回るのに1日では無理かもしれません。

 京都で公共交通機関を使って東寺、西・東本願寺、清水寺、銀閣寺、金閣寺などに桂離宮、二条城などを見ても1日で十分回りきれるでしょう。すべて市内にあるのですから。

 奈良と京都をつい同じ物差しで見てしまいますが、大きな違いがあるのがわかります。

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(844)年齢は感じ方を変える

 何度も行った奈良なのに新薬師寺は記憶になかったところ。若草山の芝生で滑り降りた記憶はあっても昔は寺院に関心がありません。行ったのか行かなかったのか。それさえ記憶にありません。
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 薬師寺の別院のつもりで受付の人に聞くと宗派からして全く関係がないとのこと。薬師寺は法相宗だが新薬師寺は華厳宗。「新」は「あらた」でなく「あらたか」の意味だそうです。
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 奈良には大きな水甕がありません。盆地の中の田畑は水の問題がついて回ります。農家である父の実家でも飲料水は井戸でまかなっていましたが、田圃の水は貯水池から溝に流した水を一定時間だけ自分の田に導くという割当制でした。

 奈良市内に鷺池、荒池のような大きな池があるのも元は田圃に流す水源として作られています。しかしこのことを子ども時代は知りませんでした。山の中の小学校では田畑に関する知識は必要なかったのでしょう。

 書画・骨董に全く興味の無かった若い時代、神社・仏閣は頭を下げるだけ。美術品の収蔵された奥の方にわざわざ拝観料を出してまで見る気は毛頭ありませんでした。陶芸なるものを始めてからは美術展で抹茶茶碗があると立ち止まるようになりました。
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 新薬師寺にあった仏像、それぞれ顔の作りが違います。どういうわけかみんなインドのようなカタカナの名がつけられていました。恐ろしい顔、柔和な顔。

 自分の生まれ年の仏像にはとくに注意を払って顔を眺めましたが、なぜそれが私たちの干支にあたるのか、解説してもらわず。

 戦争被害の少なかった奈良の町は昔の姿を多分に残しています。そんな町の同じところを訪ねても年齢と共に見所、感じ方が変わることを実感しました。

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(843)神鹿と伝説 

 奈良公園といえば鹿。昔から神鹿としてあがめれれています。子どもの頃父親に連れられ奈良に来たとき鹿せんべいを買いました。自分で食べようとするとたくさんの鹿が集まってきます。俺のものだというように。
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 思わず泣き出しましたが同じ思いを子ども達にもさせたようです。息子を連れてきたときやはり彼は自分で食べるつもりだったのでしょう。息子が口に入れかけると鹿が群がりより落とした包みをくわえて遠くに行ってしまいました。

 鹿せんべいを買うとすぐに鹿が寄ってきます。今回も同じような場面に出くわしました。親に教えられた子どもはこわごわせんべいを鹿の口に近づけます。鹿は大きな口でがぶりと。驚いた子どもが泣き出すというシーンは昔のまま。

 父に伝説を聞かされたのを思い出します。昔子どもが誤って鹿を殺したところその死骸と共に子どもも生き埋めにされたという話です。公園の片隅にその墓がありました。息子、娘を連れて行ったときにその場所を探しましたが広い公園内。どこだったかわかりません。
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 別の機会に行くとその墓が見つかったのですが、その後またわからなくなりました。何の目的もなくぶらついていると見つかる場所、その場所を探そうとすると見つかりません。不思議なところです。

 一方では今まで気がつかなかった旧大乗院庭園、奈良ホテルの隣にこんなところがあったのですね。広い庭の中に朱塗りの橋が鮮やかさを引き立たせていました。

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(842)奈良駅

 奈良は帰省の際にたびたび立ち寄るところです。それにしても最近は車で行くことばかり。電車は少なくても結婚してからというもの、乗った覚えがありません。

 先日神戸に行った帰り、久しぶりに電車で奈良に向かいました。大阪駅から乗り慣れた鶴橋経由の近鉄でと考えていましたが、ちょうどJRの奈良行きが入構してくるのを見て飛び乗りました。その点同じ環状線ホームから出るので楽です。右へ行くか左に回るかの違いだけです。

 天王寺発大阪駅経由でもう一度天王寺を通り奈良に向かいます。「の」の字を描いて走るようなものです。

 大阪駅からJR関西本線に乗るのは初めてです。昔は湊町から関西本線経由の東京方面行き列車も出ていましたが、今は全くありません。もちろん当時から利用した経験がありません。東京、大阪を最短距離で走ったのですが、当時は殆ど単線、時間がかかりすぎました。
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 今回乗ってみて知ったのは近鉄と大して所要時間が変わりません。複線になった上快速電車が走ります。昔国鉄奈良駅は寂しい感じがしましたがすごい賑わいです。むしろ市内を路面電車のように走っていた近鉄奈良駅が地下に潜り、駅がどこにあるのかわかりにくくなった近鉄の方が分が悪いような気もします。

 奈良駅近くの窓外、青いビニールシートがあちこちに敷かれていたのは遺跡発掘のためでしょう。JR は高架になり駅前は工事中。格式ある奈良駅が殺風景な工事の塀に取り巻かれていました。

 奈良からJRを利用しての京都へも乗っていません。戦後貨物列車の改造車で畝傍から奈良を通り宇治まで
遠足で乗ったことはありますが。今回帰りは京都までJRを利用する計画でしたが、帰京時間に間に合いそうになくあきらめました。この区間も快速が走り、並行する近鉄と大差が無くなっているそうです。

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(841)新聞の号数

 朝日新聞夕刊連載の「昭和報道」を読んでいて気がつきました。夕刊の日付と号数のことです。号数とは通常題字上の枠外に打ち込まれた数字で、創刊以来の歴史を表しています。

 朝刊または夕刊単独紙であれば問題ないのですが、朝・夕刊セットで発行している新聞はそれぞれを別のものとして扱わず、セットにして考えています。従って号数は朝・夕同じ数字を使っています。

 夕刊の配達されない地方ではセット発行社も朝・夕統合版にして配達、セット地域と号数などに齟齬の起きないようにしています。
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 気づいたというのは朝日の場合1928年頃は夕刊に翌日付の日付をつけていたということです。私はこの頃まだ生まれていません。しかし自分の目で見たわけでありませんが縮刷版で確かめることは出来ます。
 
 戦時中は夕刊のない時期がありました。戦後夕刊発行の余裕が出来、全国、地方紙が発行する夕刊に混じり新しく夕刊単独紙も創刊されました。

 その頃一部のセット紙の夕刊、夕刊単独紙に翌日付の日付が見られたのです。セット紙の中には号数も翌日の朝刊に使われるはずの数字を使っているところもあった気がします。

 多くの人が気づいているかもしれませんが、新聞の欄外(ノンブルといっています)に第何版という数字も打たれています。朝刊の版数は夕刊の版数より多くなっています。これは夕刊から起算していたためと考えられますが、それなら日付、号数も夕刊が先行していておかしくないのかもしれません。

 むしろ版数だけはさておき日付、号数は朝刊先行、夕刊後追いという現在の形がおかしいのかもしれません。思い出されるのは翌日付の日付が入っていたため今日の曜日を勘違いしたことが何度かあったことです。

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(840)「臨時ニュース」が無くなった


 ニュース源が増えいつもテレビ、ラジオはもとより、携帯電話で新しいニュースを手に入れられる時代です。

 かつては放送途中にチャイムが鳴り「臨時ニュースを申し上げます」とのアナウンスがあり、今飛び込んできたというニュースを流していました。

 ラジオは野球放送の途中でも「番組の途中ですが」といって、重要なニュースを入れるようになりました。テレビは定時ニュースの中でもテロップで「地震速報」等を流しています。台風や選挙開票時は定時番組のサイズを小さくして現在の情報を放送します。

 そうした状況に応じいつでも最新の情報を挿入できるよう生放送が増え、深夜も休み無く電波を流しています。

 地球温暖化の中で時代に逆行する気もしますが、最新の情報は国民の望むところでもあり、関係者は難しい判断を迫られています。

 こうした流れでとくに臨時ニュースと断って流す必要がなくなったのは当然です。時の流れがニュースのあり方を根底から変えました。

 そうなるとニュースの受け手も対応策を考えねばなりません。通常ラジオ、テレビは見たり、聞いたりする番組がなければ電源を切ります。その間に流れたニュースは受け入れることが出来ません。せっかくの放送局側の配慮も意味がないことになります。

 やっぱり携帯電話をいつも持ち歩くしかないのかもしれません。また余計な悩みを抱え込みました。

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(839)風景切手

 ニッポンの風景はどこも絵になります。もちろん海外でも風景は見る人の心を癒やしてくれます。
A
 
 画家が好んで描く題材でも女性と共に風景があげられます。どちらも表情が豊かです。風景を写す写真家も大勢います。旅に出れば写す写真はその土地の風景です。

 そういうわけで記念切手でも風景をテーマにした切手が数多く見受けられます。天橋立、松島、宮島といった日本三景、国立公園。名所旧跡の殆どが切手の図柄になっているのではないでしょうか。

 切手収集を趣味にしているわけでありませんから、マニアのように収集箱に保存しているわけではありません。
B

 収集といえば子ども時代は吉野の山中で昆虫採集に走り回りました。道ばたに生えている草の実などを口に入れながら。もちろん毒のあるものはあらかじめ教えられています。珍しい蝶や玉虫などを箱に虫ピンで留めて大津の家に持ち帰っていました。
C

 しかし子どものことです。戦時中という社会状況のせいかもしれませんが、アルコールなどを使って保存するという方法を知りません。ものの一月もたたないうちに腐らせて捨てる羽目に。

 その点切手や通貨の収集はそれほど気を遣う必要がないかもしれません。積極的に切手収集をしていれば貴重なコレクションが出来ていたかもしれませんが、そういう細かいことには無頓着人間です。

 入ってくるものは拒まず式ですから系統だったコレクションにならないのが私の収集です。そんな関係で風景切手も地域別に整理したりするほど数が無いのもご愛敬でしょう。

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(838)日本のマスコミとコマーシャル

 広告も生活情報だと入社時から上司に教え込まれました。それまでの広告は前近代的なもの。それこそ飲ませたり云々という時代があったそうです。私たちの頃からいわゆる歩合外交というのもなくなり、広告がマーケティングの一環として認められるようになっていました。

 といってもまだ編集と広告の垣根は厚く編集の紙面製作権限は絶対です。たとえば記事にこういう問題が取り上げられるからと察知し、関連する広告を入れようとしても編集から拒絶されました。提灯持ちに見られるから別の面にしろというのです。

 コマーシャルのないNHKテレビは相撲中継の中で懸賞が披露される場面になると、カメラを引き懸賞提供社の名が読めないようにしていました。野球中継でも看板が写らないように工夫していました。

 経済社会の成熟と共に広報・広告の必要性が認識され、電車・バスの車体にまででっかい広告が出る時代になりました。マスコミも特定企業のPRになる記事を取り上げないという方針から、積極的に取り上げる方向に変わっています。

 広告が重要な生活情報として定着してきたからでしょう。確かに広告もニュースです。NHKはスポーツ中継でも企業名を隠すことなく、主催事業でははっきり映し出すようになりました。新聞も記事の中に問い合わせ先のURLを明記し、読者の便を図っています。

 今までだと「都内のデパートで美術展が」と記事が出ても、読者はそれがどこかわからず見に行けません。そういう意味でも最近は親切な記事になっていると思います。

 しかし今更気づいてもすでに広告の主体はマスコミからネットなどに変わっています。マスコミの気づき方が遅かったのです。ニュースとはなにかを改めて問いかけられているような気がします。

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(837)横浜球団

 09年度の日本プロ野球。それにしてもよく負ける。セ・パ交流試合はまだシーズン序の口。数字の上ではまだ取り返せないことはないが、相手チームにも大きなアクシデントが起きない限り望みは少ない。今年の横浜球団です。

 経営権がTBSになってからどうも試合運営のまずさが目立ちます。毎年投手がいないと言われながら補強に熱が入っていない。大矢監督も田代監督代行も口を揃えて「投手のがんばりが足りない」とこぼしていますが、それならどうしてオフシーズン中に投手の補強に力を入れなかったのか。

 経営陣自体が巨人びいきに見えて仕方ありません。巨人を勝たせるように仕向けていると思われても仕方ない現状です。だいたいシーズンが始まったとたんに監督更迭。チーム員にはもちろん、ファンをなめてかかっています。

 中学時代から横浜の前身、太陽ロビンズのファンだった自分です。あの頃もなかなか勝たないチームでした。しかしスター選手がいました。真田、スタルフィン,伊勢川、小鶴、岩本、大岡、金山等の名バッテリー、強打者を擁し、たとえ負けてもファンを納得させる試合を見せてくれました。

 負けゲームにも後味の良い負け方と腹も立たないという負け方があります。昨年、今年の横浜はまさに後者の負け方をしています。それならファンを辞めれば良さそうなのですが、幼い頃から応援してきたチーム、簡単に切れません。チーム名も経営母体も変わっていますから、今の横浜は昔の太陽、松竹と違い私にとって全く関係ないのですが。

 負傷がちの村田と内川ぐらいがスターですかね。年間100敗の大記録だけは作らないで欲しいのです。試合に負けても良い、もっと華やかな試合を展開して欲しいのです。

 何回優勝したかわからない巨人、西鉄と違い、前身時代を含め優勝回数が簡単に数えられる球団。たまに優勝するからおもしろいのです。そういうおもしろさ、楽しさを持った球団として活躍して欲しいと願うファンの気持ちです。

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(836)退職後の名刺

 先日もとの会社同人OB会があり半年ぶりに神戸に行きました。みんなそこそこの年齢を重ねており、回顧談に花を咲かせたことでした。

 あまり昔話をしていても前進がありません。昔話をするようになれば人生おしまいだと言っていた私自身が、よき時代のことを話すのですからなにをか況んやだと思います。

 といっても私たちの時代もあまりよい時代とは言えません。大阪紙の攻勢激しいところで勝負をしていたのですから苦しい話ばかりです。

 会社人間でなくなってまず戸惑うのは名刺がないことです。会社時代はいつも名刺が頼りです。人と会う場合もまず名刺を差し出します。

 頂いた名刺を保存していたのに、パソコンを手にしてそこに収納しようと思ったのが間違いのもと。あるときパソコンが壊れすべてのデータをなくしました。

 バックアップの重要さを思い知らされ、その後は出来る限りバックアップをとるようにしています。

 殆どがなくなり現在収納されている名刺は2千枚そこそこ。ということは延べ2万枚はあったかもしれません。

 先日の会合で何枚か名刺を頂きました。みんな知っている人なのですが、現在の仕事を知るためにお互い交換するのです。

 社名、役職と氏名、住所のみの定型型だったかつての名刺はパソコンで自作できるようになり、それぞれがおもしろい肩書きをつけています。

 個人情報が集積されたものですからスキャニングしても氏名、住所を除去すると肩書きしか出せませんから意味がなく現物をお見せできません。

 NPO法人を立ち上げた人もいます。自分で作家を名乗り名刺に筆名と共に書いた人も。確かに何冊も出版していますからでたらめではありません。過去に有名な作家先生から名刺を頂きましたが「作家」という肩書きを見た覚えがないのは、有名すぎて肩書きをつける必要がなかったからでしょう。

 楽しいのは「鈍行でのんびり終着駅へ進行中」という肩書きです。国鉄時代に全線乗車の記録を作っている鉄道マニアです。モノレールが出来たおかげで沖縄にも行けたと本人は喜んでいました。

 それにしても鈍行で終着駅へ進行中とは意味深長です。歳が歳だけに余計考えすぎてしまいます。

 何の変哲もない名刺ですが、いくら無職と行っても名刺がないと様にならないのがサラリーマン上がり。今でも出先で現職の人から名刺をもらうことがあります。それに対して自分の名刺がないと格好がつかない思いをします。

 私も外に出るときは名前と連絡先だけを記した名刺を持って行きます。しかしそういう中でもみんな肩書きを入れて、これからの人生を楽しんでいる様子がうかがえました。

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