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2009年7月

(868)マニフェスト 

 選挙予定日より40日も早く解散した衆議院。その間が事実上の選挙運動期間だということです。公示前の選挙運動は選挙違反という法律があったと記憶しています。日本の法治国家はかけ声だけだったのですか。

 抜け駆けしたものが勝ちというのでは納得できません。さらに問題は数年前から言い出された言葉、マニフェストです。議員さん達はマニフェストを単に公約と解釈しているようですが、本来は宣言書という意味があったはず。

 かくいう私はうっかりしていました。4年前に各政党がどういうマニフェストを掲げて戦ったのか。記録していません。政権を取れなかった政党はマニフェストを守れなくとも仕方ありませんが、政権を取った限りはきちんと実行して欲しい。

 前回の衆院選は郵政民営化が極めつけだったと覚えていますが、これは一応守られました。といっても最近はそれを元に戻すような動きが出ています。それなら国民と約束し、大多数の票を獲得した事実は何だったのでしょう。

 今回政権与党を自負する党のマニフェストは7年先、10年先を見据えたものになっています。先の将来まで見通して頂くのは国民にとって有り難いことです。問題はそれが守られるかどうかです。

 国民から圧倒的支持を受けた郵政問題でさえ4年で見直そうという政党の言うことです。まして政権委譲なんてことが起きたら10年計画そのものが変わる可能性が高いのです。

 いつまでも政権にしがみつこうとするあまり、国民の本音に気づかずそのときだけの思いつきを並べているに過ぎないような気がします。いつまでも自分がいるつもりで公約されるのは国民にとって迷惑千万です。

 自身が保証できない先のことを約束するのでなく、宣言書という限り嘘をつかない範囲、すなわち自分たちが保証された任期中の少なくとも4年以内に、実現できる方向なり指針を示して欲しいと考えます。

 いずれにしても今回政権を取った政党が約束されたマニフェストを保存し、次回の選挙ではその実行率を投票の指針にしたいと思います。

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(867)新派

 昔の新橋演舞場の向こうには築地川といったかと思いますが、川が流れていました。いかにも昔の劇場という雰囲気を残した建物は、老朽化と経済性から高層ビルに立て直され、82年4月完成しました。大歌舞伎でこけら落とし、5月公演を新派が引き受けています。
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 緞帳は銀座に関係する大手企業が寄贈していますが、真っ正面から眺めるとどれも素晴らしい織物という感じを持たされます。絹の光がライトに映え、重量感を醸し出しているのです。 

 この時2代目水谷八重子は未襲名、水谷良重のままです。八重子の襲名は私の退社後95年のことになります。安井昌二、菅原謙次ら映画で売った人たちが新派で育ってきた波乃久里子らと共に良重を盛り立てていました。片岡孝夫と坂東玉三郎が特別参加しています。

 62年2月、新派100年の特別公演はこの二人に加え島田正吾が特別参加したものになりました。
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 歌舞伎は歌舞伎の所作事がおもしろい。女優より美しい女形。それはそれで見所があります。しかし見る人には女優の登場も舞台をあでやかにします。

 とくに明治、大正時代の人情を描くことの多い新派で、女優の役割はことさらウエイトがあるように感じます。男の立場を思う女の世界を描くのは女優でなければ演じられないかもしれません。

 新派100年記念公演の際のパンフレットには新派大合同に至るまでの各劇団の系図が掲載されています。文学座、俳優座などの劇団も合同したり分かれたりいろいろ変遷を繰り返し、新しくできた劇団が無くなってしまうこともありました。
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 演劇を志す人たちはそれぞれの思いを持ちながら、目的とするものが微妙に食い違っていたりするのでしょう。分離、結合を繰り返しながら日本の演劇が発展してきたのだということをその系図からくみ取れたような気がします。

 なお写真類は各公演のパンフレットから引用させて頂きました。

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(866)常打ち劇場

 60年安保、70年安保と国内が安保体制で騒いでいた頃まで概ね大劇場は上演する劇団を固定していました。

 宝塚歌劇と宝塚大劇場はもちろん、OSKと大阪劇場、SKDと国際劇場、NDTと日劇のようなレビュー団と劇場の結びつきもさることながら、松竹歌舞伎は歌舞伎座、新国劇は明治座、新派は新橋演舞場、文楽は文楽座、松竹新喜劇は中座に行けば見られる機会が多いというようなものでした。

 劇団創設の経緯を調べても、とくに劇場と劇団が意識して結びついたものでないようですが、結果としてそうなっていたのは観客側から見れば劇場選びに役立ちました。

 当時島田正吾や辰巳柳太郎が活躍した新国劇、演目が私の好みでないため明治座にはあまり足を踏み入れず、結局年に数回上演するアチャラかものを一度見たきりです。

 改築前の宝塚大劇場も江利チエミとアメリカのジャズバンドの競演、宝塚ジェンヌの協力を得て行った大学行事の際に入場したくらいです。
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 演舞場はやはり初代水谷八重子を軸にした新派がホームグラウンドにしていました。といっても年3回ぐらいだったかもしれません。私が見るようになったのは二代目八重子が水谷良重といって母のあとの新派を背負って立つ頃からです。

 水谷良重は私の学生時代、浅丘雪路、東郷たまみと共に東宝3人娘として映画によく出ていました。それぞれ日本を代表する画家伊東深水、東郷青児を父に持ちます。が、こんなことは今日のテーマでありません。

最近各劇場の老朽化による改築や、劇団自体の経営状況などが原因で、必ずしも固定された劇場で演じるということが少なくなりました。

 国が保護する歌舞伎、文楽は別として、新国劇は倒産、新派の公演はめっきり少なくなったように感じます。劇場も演舞場より三越劇場の方がやや多くなったような。

 配給会社ごとに固定されていた映画館が、シネコン時代に入り製作、配給会社の一貫性が無くなったように、劇場も文楽や歌舞伎のような特別な設備を必要とするもの以外は、客足を見ながらの融通性にあふれた運営方法に変わってくるような気がします。

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(865)(銀座)新橋

 58年東京転勤で当時銀座7丁目にあった支社に通うようになりました。今のJR新橋駅から歩きます。新橋交差点を銀座中央通りに入る途中汐留川を渡ります。ここに新橋が架かっていました。

 都電ががたがたと走っていました。現在川は埋め立てられ、橋のあったところに「銀座の柳」の歌碑があるはずです。というのも最近あまり行かなくなり銀座の変化がわかりません。

 新橋のあったところは首都高の橋がまたいでいます。当時国鉄貨物駅のあった汐留駅構内に0マイルポストが置かれ、鉄道開通時の新橋駅の名残を残していました。

 すでに銀座の呼称は西銀座、銀座、東銀座となり、江戸時代からの呼称、木挽町、尾張町などの町名はありません。しかしまだそんな呼称がビル名などとして生きていました。先輩からも「銀座4丁目」といわず「尾張町交差点の向こうにあるどこそこへ」というような言い方で場所を教えられました。

 その頃の私はまだ東京の地名がわかりません。「新橋」という地名は新橋駅から烏森方向を指すものと思い込んでいました。新橋で飲むというのはそういうところで飲むという意味で理解しています。

 支社の前を時々芸者を乗せた人力車が通り過ぎました。俗にいう「新橋芸者」です。私も泊まりの時に利用した8丁目の「金春湯」の前に置屋がありました。彼女たちがどこに向かうのか知らなかったのですが、新橋の料亭街と聞き、なぜ銀座の中を横切って新橋へと怪訝に感じるのも無理がありません。

 まさか東銀座に新橋の料亭があり、新橋演舞場がその中に建っているなんて。そこで汐留駅が旧新橋駅であり、駅を中心にした東銀座方向も新橋のエリアに入るというのを知る始末です。

 赴任早々は新橋演舞場が京都の歌舞練場同様、新橋芸者の発表道場であったことを知っていても、烏森のどこかにあるのだろう程度の知識しかありません。天下の歌舞伎座と軒を接するくらい近いところにあったなんて。

 のちに演舞場は歌舞伎座以上によく行くことになるのですが。演舞場の前は格式ありそうな料亭が多くありました。政財界の人たちがよく利用したそうですが、等々私は社長達のお供をしたことがあっても、主賓で行くことは無しで終わりました。

 もっともこんなに気疲れするところで遊んでも楽しくなかったでしょうけれど。

 のちに深川や浅草の料亭で遊び方を教わりましたがありましたが、私にはその程度で身の丈に合っていたのだと思います。

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(864)夢を育てる天体ショー

 昨09年7月22日。久しぶりに日食が観察できました。何年ぶりでしょう。いや何十年ぶりです。以前に日本で見られたのは63年ということですからおそらくそのときに見たのでしょう。仕事中に外へ出てみたのかな?
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 今回は鹿児島県の離島地帯で皆既日食が見られると、莫大な金を使って出かけた人が多かったそうです。一生にそう何度も見られるものでないだけに、そういう人の気持ちはよくわかります。

 ただ感じるのはそう何度も見られるものでないといいながら、かつては今ほど話題にならず本当に関心のある人だけが現地に出かけたものでした。

 最近は余暇があるせいか、あるいはマスコミが騒ぐからか、大騒ぎしながら出かける物見族が多かったように思います。普段閑散とした島に受け入れ側で作ったルールを守らず、入り込み迷惑を掛けた人が多数にのぼったと聞きます。
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 お天道様も怒ったのか当日現地は大荒れの天気、結局皆既日食を観測できず、辺りが暗くなって日食を実感したといいますから、気の毒の限りです。

 その点特別に仕立てられた客船で出かけた人、あまりマスコミで話題にしなかった奄美大島では、素晴らしい日食を眺められたそうで慶賀の至りというところでしょうか。

 暇はあっても金がない私は仕方なく狭い庭いじり。雨雲が低く垂れ込めていましたが、部分日食が始まっているはずと見上げた11時過ぎ、厚い雲が薄くなり時々雲を通してお日様が見えます。
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 東京の最大食は11時13分ということですからまもなくその時間です。慌ててカメラを取り出し空に向けました。

 もちろん日食観測用の眼鏡も黒ガラスも持ち合わせていません。しかし薄雲がフィルターの役をしてくれ、肉眼ではっきり眺められます。フィルムを使わないデジカメもフィルターなしで画像が写し出されました。

 写真は11時15分から20分頃にかけて撮影したものですから、ほぼ最大食の頃です。

  4分の3ぐらいまで欠けました。これぐらいでは周囲は暗くなりません。平素気にしない太陽の光の強さを感じさせてくれた瞬間です。考えてみれば太陽は4分の1大ぐらいでも世間を明るく照らし出してくれているのですね。残りの4分の3の光は無駄になっているのかなァ。
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 テレビは大型客船上から360度水平線が明るく上空は真っ暗、不思議な場面を写していました。逆に空中から地上を見ればどんな風景なんでしょう。テレビはそんな疑問に答えるように、衛星から月の影が地上を走って行くシーンを見せてくれました。

 私は飛行機からその影が山肌を走る様を時々見ています。それと同じことなのでしょう。理屈ではわかるのですが、現実のそういう天体の動きは凡人に計り知れない夢を育ててくれます。

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(863)はえ取り紙

 夏から秋にかけて蚊のシーズンです。スーパーやドラッグストアでは蚊退治のための薬品が幾種類も。昔ながらの渦巻き型から電気式の道具まで。

 逆に殆ど見かけないのが蠅取り用の道具。我が家ではあまり必要が無く積極的に探さないためかもしれませんが、店頭で見かけません。

 蠅が全くいないかといえば結構たくさん飛んでいます。我が家でもすばしこい蠅を追うのに躍起になることがあります。

 蚊取りスプレーが蠅も落としてくれます。そういう意味では昔よりスマートな退治法が普及したのかもしれません。

 子どもの頃は台所を中心とした家の中に、はえ取り紙が天井からぶら下げてありました。セロテープをぶら下げたようなものです。

 塗ってある薬に粘着力があり、誤って手や顔にくっつくと大騒ぎです。下にはゴキブリ取りのように取りもちを塗った紙が広げられていました。暴れる子どもにとってはやっかいなものです。

 足にくっつき剥がそうとすると手にくっつきます。すでに蠅が捕まっていようものなら顔に蠅も。

 ちゃぶ台には食べ物になんと言ったか名を忘れましたが、蠅が止まらないようネット状のものを被せてありました。

 取りもちはトンボ取りにも活躍しました。長い棒、竿の先に取りもちを塗りつけトンボの飛ぶ中で振り回すと、運悪く餅にあたったトンボが捕まってしまうのです。

 自然を守る時代になり、このような遊びをする子どもの姿は見られなくなりました。それがよい傾向なのかどうかは別として。

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(862)日食

 「日食」という言葉を知ったのはおそらく小学校低学年時代だと思います。

 月食ほど頻繁ではないのですが、過去日本で見られた日食を調べると結構あるものですね。さすがに皆既日食を国内で見られるのは一生の中でも一,二度程度のようです。それも皆既日食帯に行かねばなりません。

 結局皆既日食を肉眼で見るにはそれなりの努力が必要です。ということは私なんかは生涯見られなくて終わりそうです。

 子どもの頃はいつ日食があるかあらかじめ知らされていません。戦時中ということがあり、敵に国内の状況を知らせたくなかったのかも知れませんが、そんなのは予測技術さえあれば誰にもわかることです。

 江戸時代まではそんな技術がないため突然太陽が隠れることでいろんなデマが流れたようです。しかし幼年時代、急にお日様が半分に欠け周囲が薄暗くなって驚いた覚えがあります。

 疎開中にはもう「日食」という言葉を知っていました。学校で今日は日食があるから観察してみるようにと先生に教えられ、ガラスのかけらをすすにいぶしたものでした。

 ガラスをすすでいぶしてみるのは眼のために良くないと今は注意を喚起していますが、当時は先生がそういう方法を教えてくれたものでした。

 日本での皆既日食や金環食は、多くが奄美諸島付近か北海道の北部でしか見られませんでした。今年も同様です。2035年の9月に予定されている皆既食は中部から関東地方で見られるそうですが、その頃存命しているとしても101歳。とても無理でしょう。

 今まで明るかった昼間の光景が急転して薄暗くなったのは過去に経験しました。それが43年か48年か記憶が明瞭でありません。皆既日食になりませんでしたが、夕闇のような暗さになりしばらくすると明るさを取り戻しました。鳥が変な鳴き声を上げていたのを思い出します。

 地上から眺める日食は天候に左右されますが、明るさは雲の有無に関係ありません。でもせっかくだったら肉眼で太陽が欠ける様を眺めたいという気がします。

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(861)しとしと雨

 梅雨入り、梅雨明けを気象庁は明言しなくなりました。入った模様、明けた模様と言うだけです。こんなことで訴える人もいないでしょうが、たとえ訴えられても逃げ道があります。

 それにしても明言できないほど季節が曖昧になってきました。まだ7月中盤というのに雨が降れば南洋的なスコール。雷シーズンでないのに雷鳴が響き渡ります。

 雨が降れば豪雨。俳句に詠まれたしとしと雨はあんまり。今年の梅雨は雲が多く日照こそ少なかったのですが、我が家あたりでは雨があまり降りませんでした。降れば降ったでバケツをひっくり返すような。

 南の海にあるべきものが東京湾に育つ今の世です。寒くて凍え死ぬような季候も困りますが、俳句や和歌を育てた日本の気候がどこに行ったのか。日本の政情と同じようにそら恐ろしくなります。

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(860)地方自治体に政党は不要

 戦争という言葉は昔も今も嫌いです。なぜ人間同士が争わねばならないのか。

 テレビで自然をテーマにした番組が流れます。地上の生き物は動物に限らず植物も生存競争が激しいのがわかります。他を押しのけて自分がしゃしゃり出るのは後世に命を託すためにやむを得ないことかもしれません。

 最後に残るものが勝者であるのは疑いありません。でもよく考えれば最後に残ったものは何を食べるのでしょう。

 古代から環境に適応できず滅びた生き物は数多くあります。氷河期の前には殆どの生物が途絶えたと聞きます。

 優れた考察力を持つはずの人類は先の世を見通せます。争うことの無意味さを熟知しています。それなのに闘争本能は他の生物並みに持ち合わせています。

 一人で戦えなければ徒党を組みます。争乱時代の海賊、山賊。いずれも徒党を組んで押し入っているのが大半です。

 暴力と政争を一緒にするわけでありませんが、今の日本の現状を見ると重ね合わせたくもなります。政党制度も良い方に向かってなら許せます。現状は自分たちの利益だけ、選挙民には選ぶ権利がかなり制限されています。

 昔の地方役場でも郵便局でも地域のためを第一義に考えてくれました。政党は国会だけ、庶民と応対する役所に勤める人はみんな近所の顔見知り。怖いのはお巡りさんだけという意識が頭に残っています。

 お巡りさんが怖いという意識は親のしつけで「悪いことをすればお巡りさんが連れに来る」といわれていたためでしょう。自分が悪いことをしたわけでないのに怖いものの代名詞でした。

 ところで地方自治体まで政党色が入り込んだのはいつごろからでしょう。役所の人も人間ですから、彼と同じ主張をする政党があればファンになるのはやむを得ません。しかし自治体は直接生活者と接するところです。

 国は上からいろんなことを押しつけてくるでしょう。国民はそんな国に対していろんな要求を突きつけます。それを中和させるのが地方自治体の役目だと思います。

 それなのにここにも政党色がはびこっていては、生活者は自分たちのストレートな希望を国に通してもらえません。

 今回の都議会議員選挙を通じて感じたのは、なぜ国政で争うべき政党の主張を自治体選挙に持ち込んだかです。

 国政と地方自治は全く違います。地方分権が叫ばれるのもそういう意識が目覚めてきたからだと思います。

 あの総理さえ言うように地方選挙は地方の問題。政党より知事や市長など個人の資質を問う場面だと考えます。

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(859)これでなければなれない政治屋

 政治の世界。不思議だらけです。

 国政は地方を下請けないしは二軍と考えているのでしょうか。自治体の知事の中で目立つのがいると国政の場に引っ張ろうとします。またそれを喜んで受けようとする人もいます。

 逆に国政から地方の長に変わる人もいます。国政で何百人の中の一人になるより地方の雄でいる方が実権を握れると思いますが、地方で国からの指示に従うより国政にでてやりたいことをと考える人が多いのも事実です。

 秘書に任せっぱなしという無責任な党の看板役者が言ういいわけを、説明責任を果たしたとして国民には何がどうなったかわからないまま幕を引こうとする人がいます。国会の場でもっと議論をして欲しいと我々が考えても、首相の問責決議を通したから議論できないと事実上の閉会。

 それなら繰り上げ閉会という方法はないのですかね。たしか国会開会中はそれなりのお手当が出ているはずです。

 野党から出た首相の不信任案を否決した与党。それなら首相を擁護するのかと思えば「首相としては信任するが総裁として不適当」との言い分ですぐさま総裁下ろし運動を始める人たち。

 確かに憲法は「国会議員の中から総理大臣を選任する」と定めています。ということは必ずしも最大政党の党首でなくても良いということになります。現に当時最大政党でない社会党の党首が首相に選ばれたこともありました。

 しかし同じ政党の中で党首と総理の二人を出して、党内が纏まるものかどうか見物です。

 こんな矛盾したことを平気で行うのが政治屋達です。自分たちが選挙に勝てないからと明らかに選挙だけを目当てに動く議員達、国民の皆さんとこれからやかましく訴えかけてくるでしょうが、当選すればもう国民なんて眼に入りません。

 国政に関することは気軽に相談をと事務所側で言っていますが、そんなとき実際に庶民に会おうとする先生方は皆無に近いのが現実。また正直に先生の事務所を訪ねる国民もいないと言い切ってまず間違いありません。

 国民の方が現実を知っているのです。

 このように見てくると今度の選挙は結果がどうあろうと、久しぶりにおもしろく感じます。矛盾を矛盾と感じない人たちのお祭りになりそうだからです。

 こういう気構えを持たねば一介の政治屋になれないというのはいささか寂しい気もします。

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(858)虫眼鏡(ルーペ)

 年齢と共に眼が弱くなるのも致し方ありません。周囲の友人、知人は多くが白内障を患っています。

 高齢になるほど必要になるのは医薬品。風邪、痛み止め、目薬、胃腸薬、その他諸々の市販医薬、あるいは医者から指示された医薬品を持ち歩く人もたくさんいます。
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 幸いあまり病魔にとりつかれない私の家庭ではせいぜい家庭常備薬を救急箱に入れてある程度ですが。

 それでもたまにちょっとした腹痛や虫さされで薬を使うとします。しばらく使用していない薬品が多いので使用説明を読もうとします。読めません。

 字が小さすぎます。確かに薬のケースが小さいので注意事項、効能、使用法など小さな活字でないと書ききれません。

 さらに詳しくは中の使用説明書を読めというのですが、それすら現在の新聞活字より小さい文字です。というより薬品類は封を切れば中に収容されていた紙切れはたいていどこかに散逸しています。やはり容器そのものに書かれているのが一番望ましい形です。

 そこで虫眼鏡の出番ということになります。私が持っている虫眼鏡は写真のようなものです。棒状のようなものは顕微鏡的なもので一字一字はよく読めますが、全体を読むには不便です。辞書などの文字で字画を調べるには良いのですが。
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 丸形の平たいものは昔からある定番の虫眼鏡。それに電球をつけて読む場所を照らし出すようにしたもの。四角い定規状のものはフレネルレンズというもので、嵩張らずしかも広範囲に拡大して見せてくれます。

 いずれももらい物で市価がどれほどのものかわかりません。フレネルレンズはあまり文房具店でも見かけないような気がします。ということはコストがそれなりにかかるのか?

 LEDライトの普及で市販価格が下がったように、フレネルレンズも量産、量販によって価格が下がるのは予見できます。

 私が考えているのは、薬品などの商品を包装しているセロハン状の透明紙に、フレネルレンズ加工をして容器などの文字を拡大できるようになれば朗報だということ。

 そもそも目が悪くなる高齢者ほど家庭医薬品を必要とするのに、その説明が若い人でも読めないような小さな字で書く必要があるのかと思います。

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(857)何でもやる大臣

 松戸市役所に「なんでもやる課」が出来たというニュースも昔話になる気がします。今でも健在なのかどうか調べていませんが、縦割り行政をぶち破る策として世間から絶賛を浴びました。

 確かに庭に出た毒蛇の退治はどこへ頼めばよいのか、そういう業者がどこにあるのか、普段世話になる機会がなければないほどわかりません。監督省庁でいえば厚生労働省、農林水産省、国土交通省、経済産業省、環境省。どれも関係があるように見えます。

 話が飛びますが先日、昔仕事で付き合った東北地方の方に会い、彼の自宅が類焼、全焼したことを知りました。隣の家が燃えて消火活動をしている中で、警察は出火原因特定のためといって主人を署に連行したそうです。もちろん不審火とかいうわけではありません。

 出火元の主人不在で消防団が活躍したそうですが、結局類焼は免れられなかったそうです。こういう場合警察と消防の管轄が違うと行っても、延焼中に取り調べをしなくとも良いのではないかと彼は憤慨していました。

 彼はその後の自宅再建でも役所のセクショナリズム、同じような書類を違う部署宛に何通も書かねばならない不合理さを追求していました。

 「なんででもやる課」的な存在が上は省庁から、生活者に最も近い自治体窓口にそれぞれあれば我々の生活はもっと楽になると思います。「何でもやる大臣」なんてしゃれていると思うのですが。

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(856)海外の切手

 海外でも切手はシートで売られているようです。というのも私自身はシートで買ったことがありませんが、ホテルで日本までいくらの切手が必要かを問うたところ、シートになった切手を何種類か出して「これとこれ」というように説明してくれたことがあったからです。
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 海外から送られてきた手紙に添付された切手はそれぞれお国柄がでています。やはり多いのはその国の偉人の顔を図柄にしたものです。もっともどういう意味で偉人か他国人の私にはよくわからないのもあります。

 花や観光地を題材にしたものも少なくなく、だいたいどこの国でも同じようなテーマを取り上げているようです。すでに一部の切手はスポーツの項目でも取り上げましたが、オリンピックというイベントで発行されたものもありました。

 絵柄もさることながら切手の大きさがまちまちで、小指の爪より小さいものがあれば絵はがきの宛名欄がかなり占領されるような大きさのものがありました。四角に限らず丸いの、三角というように形状も常識に縛られていません。

 粘着力が強く保存用に剥がそうとして破ってしまったものもあります。そういうわけで数は多くありませんが手元にある海外切手を紹介します。

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(855)自然に集まる切手

 もともと切手の収集癖はなかったのに。あちこちかる来る郵便物を見ていると中には珍しい切手があります。少しはきれいだなと切り抜いて保存しているうち数が集まりました。
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 従って私の切手アルバムは使用済み切手が圧倒的に多いのです。それでもテーマを決めて整理してみるとずいぶんいろんな切手が発行されているのに気づきます。

 使用済み切手は「なんでも鑑定団」に出しても無価値なものが多いでしょう。でもそういうことに無頓着、価値というよりこんなにいろんな種類の切手があるのかと感心して眺めているだけの私には、消印があろうと無かろうと関係ありません。

 美術品を取り上げた切手、イベント開催を記念して発行されたもの、空港などのオープンを記念したもの、最近は個人の記念切手、たとえば結婚式の引き出物につけて配る切手なども作って呉れるそうです。
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 テレフォンカードや鉄道のオレンジカードなどにも個人の要望に応えるカードを引き受けてくれましたが、IC カードの普及でそういったものも見られなくなりました。

 携帯電話の普及で多くは即時に返事の出来るメールが主流となり、郵便事業は危なくなっています。電報は今や冠婚葬祭の場で利用される程度になりましたが、いずれは郵便もそうなる運命でしょうか。

 もしそうなれば切手の存在感も薄れてしまいます。今でも手紙や小包を窓口に差し出すと切手でなく、スタンプを押したシールを貼っています。ますます他種類の切手が発行されながら実際に使われる場面が減っているのです。
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 そうした風潮と反対に漱石らかつての文人が出したという手紙類があちこちで公開されます。個人の手紙を公開することの是非があるかもしれませんが、メールに年賀状の役割が奪われ、手紙の交信が少なくなるとしたら、味気ない社会が現出することになります。

 「消去」の指令と共に消えてしまう文に比べれば、たとえ読みづらい文字でも紙に残された筆跡は筆書の心を後世に伝えてくれるのですが。その手紙に貼られた切手と共に。

 私の切手アルバムも新しい切手があまり追加されなくなりました。

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(854)動物の切手

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 動物は可愛い顔を見せます。如何にどう猛な肉食獣でも生まれたては可愛い顔をしています。その表情に魅せられてペットにし、大きくなって飼えなくなるとその辺に捨てるという人が減らないのは困ります。

 せめて自宅で飼うのではなく、切手で楽しむのも一つの手でないかと…。

 動物をテーマにした切手は花と同様結構多く発行されています。ただ収集マニアでない私がそれほど多岐にわたって持っていないに過ぎません。

 ここには写真を使ったものを主に集めましたが、絵で表現したものも多くあります。海外の切手でもよく見かけるテーマです。

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(853)銀行

 振り込め詐欺撲滅キャンペーンもいつしか声が小さくなってしまいました。NHKは件数が減少したのはキャンペーンの成果と放送しています。

 銀行は顧客サービスを考えてか、あるいはどこにでもある郵便局を意識したのか、あちこちに無人ボックスを構えています。このボックスを重機を使っては開始持ちsるというすごい泥棒が発生しましたが、最近はなりを潜めました。

 コンビニ内にあるATMは無人ではありませんが、街角に立つ無人ボックスは襲われる危険を考えると、なんとなく操作中周囲を見回してしまいます。

 初めての海外旅行でマニラに行ったとき、途中で現金を引き出したくなり、とある銀行に入りました。30年も前の話で今と当然状況が違うと思います。

 銀行は殆ど客の姿が見えず、日本であれば女性行員が案内のため入口に立っていたりしますが、彼の国ではいかつい格好の男が数人ピストルを腰に差しうろうろしています。

 客が少ないだけになんだか自分が見張られている気がして、決して気持ちよいものでありませんでした。当時のフィリピンは戒厳令下にあり夜間の外出禁止令が出ていましたからなおのことです。

 どこでも郵便物はホテルで扱うところが多く、切手類も売ってくれます。従って郵便局を見かけても入ろうとしませんでした。それでもハワイの郵便局で驚いたのは観光グッズがいろいろ中で売られていたことです。

 当然というのか観光客も含め大勢の人で局内は混雑していました。単にはがきや切手販売だけではこんなに客が入らないと思います。

 マニラでは気持ち悪さから、ホノルルでは珍しいグッズに気をとられ写真を一枚も撮っていません。今度行く機会にと狙っていますが、チャンスが無くなってしまいました。

 日本の銀行や郵便局はどこも人が入っており、庶民生活に根付いた金融機関であることを教えてくれます。

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(852)MVP

 スポーツなどでMVPの表彰があります。最高に活躍した選手を最高殊勲選手として称賛する賞です。

 日本のプロ野球では月間MVPという制度も設けられました。選手にとっては毎月評価されることになるので励みになるでしょう。

 戦後日本のプロ野球が2リーグに分裂、両リーグの覇者同士で日本シリーズを展開し、その勝者が日本一のチームといわれることになりました。

 日本一に輝いたチームでもっとも勝利に貢献した人が最高殊勲選手の栄冠を手にし、当時は観客の誰もがうらやむ高級国産自動車が副賞として与えられました。

 いつもトヨタ自動車の提供でしたが98年、横浜ベイスターズの優勝時だけは本拠横浜を地盤とする日産自動車が賞品を提供したように記憶しています。もっともこの年対戦相手だった西武が優勝すれば、それまで通りトヨタが賞品を出すという条件付きだったように思います。

 国民の目を引くような舞台の優勝賞品は本当にすごいものがでます。注目率が高いのを見越してスポンサーが会社の花形賞品を提供してくるからです。

 大相撲の千秋楽、優勝力士には一人で処理しきれないくらいの賞品が紹介されます。この場合多くは部屋の収蔵品になるそうですが。テレビ中継を見ていると正賞より副賞の方に眼が行きます。

 選手達がこのような賞を手に出来る栄誉を獲得すべく、ゲームをもり立ててくれます。一方負けた方はすごすご。世間のならわしというのでしょうか。

 ゴルフでは最下位の一つ上がブービー賞、最下位にブービーメーカー賞を与えられる場合があります。中間のなまじっかな順位より良い賞品がつくのが普通です。

 ゴルフの下手な私はいつもこんな賞を手にしていましたが、受賞の挨拶はやはり恥ずかしいものです。今度こそは恥ずかしい位置を脱出するぞと奮起するのですが。

 プロの選手でもチームが弱いと、つい足を引っ張る選手が気になります。こういう連中に最低殊勲選手賞でも差し上げればどうでしょう。

 そういえば映画の世界ではアカデミー賞授賞式の前夜に、ゴールデンラズベリー賞の発表があります。「最低」の映画を選んで表彰するものです。正式名はラジー・アウォードというそうですが、おもしろい試みだと思います。

 最低の賞をもらって副賞に喜ぶ選手がいるかもしれませんが、発憤し次のシーズンで大活躍をしてくれるかもという期待が持てる気がします。

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(851)二人で一人前

 つくづく感じます。これといった仕事もなく家にいることの方が多くなってしまった今日この頃、ちょっとしたことを思い出すにも、家事の手伝いをやりかけても。

 「(418)明日の記憶」でも触れましたが、一人で出来ないことが多くなりました。さいわい家内も健康で家事にいそしんでいます。ところがお互いにふっと次の行動予定を忘れることがママあるのです。

 たまたま頭のどこかにその欠けた部分を補う意識があるのでしょうか。このことではないのか、ああ誰それのことかといった具合にどちらかが思い出すのです。

 先日あるところから電話がかかってきました。家内宛だったため別の部屋にいる家内を呼び、コードレスホンの親機から子機に切り替えました。

 親機を保留にし子機をとれば切り替わるため、親機の受話器は外していても実害がありません。

 数時間たって親機の受話器が外れているのに気づきました。先に切り替えたときフックに置くのを忘れていたのです。

 電話を切り替えたことさえ忘れているのです。誰かから電話があったということを覚えていても誰だったかも忘れています。

 記憶力は1件だけという状況になってきました。作業中に飛び入りの仕事をやると前の仕事はどっかに。

 そんなときお互いにあれはどうしたとかいう声で忘れていた作業を思い出します。以前は通勤電車の中で気づいた件数を片手分というように覚え、社に着いてすぐメモ用紙に覚えていたことをすべてはき出せたのに。

 たまたま二人とも健康でいられるから、お互いに用件をきちっと伝えておけば咄嗟の際に切り抜けられます。

 二人で一人前ということです。歳をとれば夫婦助け合いの世界になるということを痛感させられます。

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