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(933)おんぶに抱っこ

 近々初孫が生まれるとなると、久しぶりに育児時代を思い出します。といっても私自身、あまり育児の思い出がありません。当時の男性サラリーマンは誰しも同じ思いをしているでしょうが、育児は妻の仕事とばかりあまり面倒を見なかったからです。

 今の時代になり思い出してみると本当に不誠実な夫だったかもしれません。しかし男子は外へ出れば全てが敵、そこから家族を守るのが夫の責務、なんて考えていた時代ですから。

 せいぜい私がやったことといえば二人の子どもを風呂に入れること。二人とも生まれたてにはベビーバスを使いました。なんてしゃれた言葉で言いますが、長子の時にはベビーバスが無く友人からたらいを借りて入れました。

 ベビーの体はすべすべ、非常に滑りやすく油断をすれば落としてしまいます。事実私もたらいで1,2度、さらに一緒に普通の風呂に入るようになって1度、落としました。

 たらいの場合は深くありませんからすぐ助け出しましたが、初期の団地に備え付けられていた丸形の木製風呂は狭く、すぐに助けられません。といっても2,3秒のことでしたが瞬間頭の中が真っ白。

 次の子どもは私も一応慣れていたことと、ベビーバスを買い妻が反対側から見張っていたため、失敗の記憶がありません。

 普段午前様に近いご帰還、それから風呂に入れるのですが、起きている姿を見るのは休日ぐらい。それでも肌のふれあいが子どもに父親を認識させると信じていました。

 そういう父親ですが、せっかくの休日は遅くまで寝ていたいのが人情です。ところが子どもは寝かせてくれません。むしろ普段より早くから枕を揺さぶり私を起こします。

 相手をしようにも頭と体、素直に働きません。そうなると子ども達は納得せず玩具を投げたりします。

 長子が小学校に入り私の休日にはボール投げを要求します。硬球ではないのですがあれはなんて言ったか、結構堅いボールを持ち、思いっきり投げてきます。

 小学校も高学年になれば力があり、1個しかないグラブを息子に持たせているため、こちらは素手で構えるしかありません。殆どの球を受けられず見逃してしまいました。

 それ以来あまり私と遊ぼうとしません。娘は娘で遊ぶ内容が違い私に相手ができません。

 考えてみるとあまり子ども達と遊ぶということをしない父親でした。でも最近外に出てもあまり親と遊んでいる子どもを見かけません。子どもの数が減っているといいますが、子ども同士さえ遊ぶ姿があまりないのです。

 風呂に一緒に入るのが肌を接した付き合いになるのかどうかは別にして、親子が肌を接するという格好も少ないように思われます。

 私たちの頃でも母親が赤ん坊を背中に負ぶって買い物に出かける姿をよく見かけたものです。今は首が据わったかどうかという幼児を自転車の買い物かごに入れて歩道を吹っ飛ばす母親。私たちが使っていた頃より不安定に見える乳母車に買い物と同居した幼児。危なっかしく見えます。

 おんぶに抱っこ。大人の世界ではあまりよい意味にとられない言葉ですが、子どもと接する場面ではこんな姿がもっとあってよいように思われます。

 にもかかわらず一歩離れて子どもを見守るというのが最近の風潮なのでしょうか。もっとスキンシップを大事にした親子関係が望ましいと思いますが、孫ができたときの子ども達はどういう親の背中を子どもに見せるのでしょうか。

 忘れていた乳児、幼児とのふれあい、デパートの売り場を見ては安全なものかどうかを見極める今日この頃です。

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