(934)万世橋駅
NHK の「ブラタモリ」で秋葉原を取り上げていました。電気街の町として関西でもよく聞いたところです。
最近の大阪はどうなったか詳しい情報が入りませんが、大阪日本橋界隈がやはり電気街の町として有名でした。
ある店に飛び込み欲しいものを見つけた場合、隣の店とどちらが安いかを比べるのは関西人の常道です。最初の店で思うように値切れず隣に移ろうとすると店員は「ちょっと待って」とそろばんに少し値を落とした数字をはじきます。
秋葉原でその手を使ったところ「みんな協定しているから同じ価額です。どうぞご自由に」と引き留めようとしませんでした。なんと商売げのないこと。
でも真空管時代、秋葉原の高架下にあった店はいろんな部品を取りそろえていました。
かつて暇を見てはのぞいた秋葉ですが会社生活を終えた現在、何年足を踏み入れていないことでしょう。はやりのメード喫茶というのも雑誌などで見るだけです。
東京で勤務するようになり、中央線沿線に住まいを見つけた私は神田、お茶の水間にあるホーム跡を見て幼稚園時代、父に連れられて東京に来た時を思い出しました。廃駅となったホームには当然駅名看板類がありません。
父との覚えがあるのはこの駅下にあった鉄道博物館に来たためです。成人してから見たのは駅が無く、ただ鉄道博物館の看板や歩道にはみ出したように置かれたSLの姿です。
小さいときの思い出をたどり今一度と考えながら、結局入館しないまま廃館になってしまいました。万世橋駅が無くなると博物館へのアクセスがわからなかったからです。
もっともこの近辺も歩き回りましたから、いつまでもアクセスがわからなかったのではなく、その時間が取れなかったのが本音です。
電車から見ている万世橋駅、なぜいつまでもホームをそのまま放置しているのかわかりません。しかし私の通勤時代、すなわち国鉄と言っていた頃はホームの横に10両編成の電車が2,3本留置できるような引き込み線がありました。
始発電車に乗ったとき引っ込み線に電車を置いてあることがありました。終電車を一晩ここで休ませているのかと納得しました。
そうなるとホームは引っ込み線に収容した後の乗務員が旧ホームの階段から下におりていたのだろうと思いましたが、勝手な想像で確認していません。
そういえば多摩のターミナルとして賑やかな立川駅も、駅ビルになる前は地下道でホーム間を連絡していました。現在は2階部分で連絡し乗客は地下道を通れなくなりましたが、駅の倉庫に使っているという話もあります。
万世橋に残されたホームもあるいはそういう有効活用されているのかもしれません。しかしそれにしては引き込み線のレールが少なくなったような感じがします。最近といっても夏頃の記憶ですが、引き込み線やホーム跡に夏草がずいぶん伸びていたように思います。
« (933)おんぶに抱っこ | トップページ | (935)かけ声とヤジと絶叫 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント