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(935)かけ声とヤジと絶叫

 戦後ジャズやウエスターンものが日本にどっと流れ込みました。外人タレントの公演も見られるようになりました。

 その頃の観客はおとなしかったのでしょうね。おざなりの拍手をしても、会場を包み込むような歓声が起きないのを彼らは怪訝に感じていたそうです。欧米では観客もステージと一緒に騒いでくれるのを期待していたのでしょう。

 クラシック音楽で騒ぐのはどうかと思いますが、ジャズのようなものでは会場が興奮してくれないと面白くないというのが欧米人の気質だと思います。

 西洋と東洋では人の育ち方が違います。東洋では物静かに人の話を聞くという教育を受けてきました。音楽でも騒ぐのは演奏者に失礼という考えです。

 世代が変わり欧米ナイズされた若い人たちは向こう風の騒ぎを繰り広げます。それが外来の歌手なんかを刺激するのでしょう。それにしても少し度が過ぎるように感じられます。

 歌手と一緒になって騒ぐのがよいのか、その歌を聴こうとしているのか、とにかく若い人の集まるコンサート会場では、歌手のがなり歌と聴衆の嬌声で我々にはうるさいだけです。

 そんな風習が国会に持ち込まれたのか、最近の国会中継は聞き所のところがヤジの応酬で殆ど聞こえないことがあります。ヤジが悪いとは言いません。

 昔からヤジを飛ばす場面を見ていますが、タイミングがよかった。ここぞというときに気の利いた一声。当然話し手のいわんとするところは聴衆の耳に残っています。

 今は話し手の声を遮り、できるだけ聞かせないようにしています。ヤジの内容も質が悪い。国会議員ともあれば少なくとも国民の代表。馬鹿呼ばわりは国民に大して失礼です。

 礼儀をわきまえない議員先生が多くなりすぎた。ついこの間まで与党であっても現在は。その逆も真なり。

 その点若い観客が増えても歌舞伎は違います。たびたび歌舞伎を見る私は未だに屋号を覚えていません。しかし実によいタイミングで3階席から屋号のかけ声。役者の演技を邪魔するでなく、役者に力をつけます。さすがに若いかけ声はあまり聞かれませんが。

 相撲で力士が取り組んでいる最中にかけ声がかかったとすれば妨害行為です。しかし仕切りの合間に飛ぶファンのかけ声。これは力士に力水を与えるようなものと聞いたことがあります。

 とはいうものの、かつては歌舞伎同様仕切りの時に、ひいき力士の名を一声かけるといった程度のもの。今のように「魁皇コール」のようなものはなかったように思います。

 でもこれは相撲が若いファンを獲得した証拠。試合展開に邪魔しなければ許されるものだと思います。

 私はサッカーが今ひとつわかりません。しかしあの応援は何なんでしょう。サポーターというらしいのですが、ゲームの間中ギャーギャーはやし立てているように感じられるのです。

 解説者のように技術的な分析をする必要はありませんが、ファンは騒ぐことでゲームを楽しんでいるのでしょう。

 現在のスポーツ、芸能では昔のように物静かに観戦、鑑賞するだけがファンではないのかもしれません。騒ぐべきは騒ぎ、静かにするべきところでは静かに聞く。それが現代の観客マナーかもしれません。

 国会の下品なヤジは乱闘前夜を思わせます。一つ間違えれば喧嘩になっても仕方ない。弁士の言い分を聞くべきは聞いて、タイムリーなヤジで聴衆を和ませる議員がいてもよいと考えるのですが。これではいずれまた乱闘国会を見せてくれるという期待が高まります。

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