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2017年8月

(2524)床屋さん

 日本語は曖昧とよく言われます。私もこの意見に同調する方です。とにかく難しい。しかし考えればその曖昧さがまた素敵。目上の人に対して、若い人に対して、異性に対して。本当にいろんな言い回しが出来て相手に傷をつけないで済むのです。

 傷を負わせるほどのことはなくてもどういう言い回し方あるのか考えるのも楽しみです。

 歳を取り毛髪が少なくなりました。それでも散髪は月1回、耳に毛髪がかかるのが気になるのです。若いときからどういうスタイルにして欲しいというほどうるさいことはいいません。はっきり言えばどうすれば自分に似合っているのかわからないのです。

 結局最初にこういうのがよいだろうという散髪屋の言いなり。中学あたりまでは長髪禁止でしたから頭のスタイルなんて気にしたことがありません。髪を伸ばしだしたのは高校ぐらいからでしょう。

 未成年時代は映画を単独で見るのも禁止。大人が同伴でなければ補導されます。戦時中はもちろん戦後もそういう時が続きました。映画スターのような頭にカットして欲しいなどいえるわけがありません。

 子どもの頃は床屋も親がついて行き親の好みのスタイルを指定していました。親は床屋に行こうと手を引っ張りますが、頭を洗うときに床屋は顔をうつむけにして洗います。鼻に水が入りむせてしまってからというもの、床屋嫌いに。風呂屋で頭を洗うときは親が仰向けにして洗ってくれたので鼻に水が入るようなことはありません。

 いつの頃からか床屋は散髪屋というようになっていました。風呂屋は銭湯に。そうして今は散髪屋といわず理髪店。こんな呼び方もカタカナが氾濫してバーバーに。それも古くなりヘアカットとかなんとかとか。忙しくてついて行けません。

(2523)介護日誌 5

 2014年、妻の物忘れ症状は明らかに進行しているが、脳神経外科の医師は出来るだけ投薬を避けたいとの意向でこの年も薬を飲ませることはなかった。

 ときどき自分の夫が誰かわからなくなるのか、目の前にいる私を他人のような目つきで眺め「家に帰りたい」という。家が実家を指しているのか、夫婦が暮らしているところを指しているのかは判然としない。「ここが家だ」といっても認識できないでいるようだ。

 13年の正月明けに腸のポリープ切除を行った私は、1年後の経過を見てもらうため妻も同道し腸の検査を受けたが、2人とも反応が出て入院し精密検査をした。運良くといってよいのかどうかわからないが、2人とも泊められたのでよかったが妻だけが帰されるようなことがあれば、一人だけの帰宅は困難な状況になっていた。

 本来金婚式の年になるが状況はそれどころでないところまで来ていた。新緑の頃に頭痛を訴えた妻を脳神経外科に。しかし脳との関連は薄くあまり騒ぎ立てない方がよいと医師。

 整理が出来なくなり、洗ったものも元の位置に戻せず違うところに放置するので次に使うとき探すのが大変。2人分でよい食事の準備も誰かが帰ってくるからと3人分作る。夫、子供の名前を間違えだした。病院や会館は以前から行っているのに始めてこんなところに来たという。料理の手順も狂いだした。自分でもそうした異常に気がついている模様。

(2522)豆タン

 豆タンと行っても燃料でなく、数十年前の学生はみんな持っていたというほど人気のあった英単語を記憶する単語集です。人気はあっても辞書としての利用価値がなかったような気がします。私も欲しかったのですが、英語を覚えるなら単語カードを作って覚えるのが一番という先輩の教えに従って。

 レコード、テープレコーダー等すでに一般家庭から無くなったような物が見直されている時代のためか、デパート、スーパーのスポーツ用品売り場で売られていた炭、豆炭。連想して「赤尾の豆タン」を思い出したのです。あれは今でも売られているのかなとの疑問でネットを調べれば販売されていました。

 辞書を丸覚えにして覚えたページから食べてしまった男。しかしそれほど英語が上達したという話を聞きませんでした。手の指に細かく試験に出そうなところを丸写しにしたけど先生に見つかり、上から重ね書きをされて全く読み取れなくなった奴、それこそおもしろい生徒がいました。

 同級生ですから生存していればみんな80歳を超えています。近々にまた関西で高校の同級生が集まることになっていますが親しかった連中もどんどん他界。今年の年賀状はまた枚数が減ります。

(2521)洋食

 和食、中華、フランス料理ということがあっても洋食という言い方をするのは高齢者のみという時代です。料理も細分化されてしまいました。ナイフとフォークを箸以上に上手に使いこなす若者。スパゲティをフォークに巻き付けてかっこうよく食べるのを見ると、洋食に縁遠かった我々世代がホテルでそうしたものを食べるのに苦労したことを思い出します。

 ホテルといえば会社員時代にたびたび招かれたパーティの立ち食いにも戸惑ったものでした。なにしろ立って食べるのは行儀が悪いと子供時代からしつけられ、お祭りの屋台で出るおでんなんかも屋台の縁台に座って食べていたのですから。

 初めて洋食店、今はレストランとしゃれた呼び方をする店でステーキを食べたのは予備校生の時。疎開していた東京の大学教授をしていた伯父がその予備校で教えていたのでお昼をご馳走になった時です。ナイフとフォークの使い方を知らない私に手取り、足取りで教えてくれたので正しい使い方を覚えました。おかげで会社に入ってからも恥をかかずに、というより逆に先輩にその使い方を教える立場に。

 その頃は洋食の正しい食べ方、フォーク類の並びと取り方などがわからない人が多かったのです。しかし立食パーティについて教わる機会がなく、これは若い人に教わる始末。スパゲティは未だに若い人のようにフォークに巻き付けられないまま。

 こんなことでも若い時代と違い、今の年になると覚えにくいと実感します。コツを覚えたつもりでもなかなかそのように巻き付いてくれません。

(2520)影絵

 最近はテレビなどで子供時代を思い出すことが多くなりました。影絵もそうです。以前は舞台裏で影絵を大きく映写し、観客を驚かせるようなところも見ているのに、自分が影絵を教わったことなどは忘れていました。

 日本の住宅が洋風化され、襖や障子が少なくなり影絵を子供に教える機会はほとんどありません。今は中年の域に入っている我が家の子供たちにも教えた覚えは全くありません。世間でもテレビで影絵を見て不思議な芸術と感じる人が多いと思います。

 両親が健在の頃は父の転勤に伴いあちこちに住まいが変わりましたが、どこも洋間はありません。日本間と土間といった木造建築。部屋の仕切りはすべて襖か障子。

 その障子を使って父は巧みに両手で影絵を演じてくれました。私にも手ほどきをしてくれたものでした。その私も今の家に落ち着くまで数カ所住まいを変えていますが、どこも最低一部屋の洋間があり、和室が連続していません。そのためふすまがあっても障子は窓側にあるだけ。これでは影絵ができません。

 子供の頃教わったのは狐。子供の手と指でなんとかそれらしい形になり、障子に投影すると見ている人は一応拍手。肝心の自分で結果を見ることはできません。見ている人の評価でなんとか見るに堪えるものなのかと想像するだけ。今なら動画撮影をしてもらう手もあるのに。

 子供に教え残すことのできなくなった投影芸術だと思います。

(2519)介護日誌 4

 2013年、前年軽い脳梗塞が始まっているという診断があったが、脳ドック受験1年後に変化を調べようという脳神経外科の診断もあり、様子を見ていたが家内の物忘れはますます進行。一方家内よりあなたのほうがと注意された自分はその面倒を見るためかまっておれないという状況になった。

 毎年実行するようにしていた家内との夫婦旅行もこの年は取りやめた。1月中旬、大雪の日。朝から下痢気味の家内をかかりつけの内科医のところに連れて行こうとした途中、家内は自転車に乗ったまま転倒。左後頭部を強打。院長からこんな日に自転車にのせるとはと叱られた。すぐ頭の検査をしたが幸い異常は認められないとのことで一安心。

 その後髪の毛が抜けることを本人は心配しだした。医師にも相談し育毛剤を使ってみるが、妻は「やはり髪の毛が抜ける。正月に転倒した影響ではないかと気にする。女性は男性以上に髪の毛が少なくなるのを気にするというが。かかりつけ医の紹介で皮膚科を受診。

 自分の現役時代は縁の薄かった病医院とのつきあいも深くなるのは、加齢と同じくやむを得ないことなのだろう。皮膚科で処方してくれた薬を服用するが、薬を飲んだにかかわらずまだ飲んでいないというようになった。

(2518)なにか似てる

 このところアメリカと北朝鮮の対抗意識が昂揚、昔の日米間のやりとりが再現されているようであまりよい気がしません。

 それにしても北朝鮮のやり方があまりにも昔の日本を思い出させるような。似ているのです。大日本翼賛会とか婦人会の動きに。

 昨日か一昨日だったかのニュースに現れた北朝鮮婦人は「アメリカがなにかしでかせば、私も包丁で戦う」というようなことを叫んでいました。

 昔の日本は「竹槍で銃後を守る」と婦人会の人たちが。それはそれでアメリカと北朝鮮のこと、といっておれない日本の地理的状況。本当にこの対立がエスカレートすれば、韓国上空を通らなくても日本の上空をミサイル弾頭が往来しなければならない位置にあるのですから。

 世界で唯一の被爆国だけにあの悲劇を繰り返したくないのですが、アメリカに守ってもらわねばならない現状では首相の悩みもわかるような気がします。

(2517)高校野球と広告看板

 毎日高校野球の熱戦をテレビ観戦しています。以前にも書きましたが外野フェンスを前に置いたラッキーゾーンがなくなっても、ホームランが続出。高校生といっておれないプロ選手並みの活躍が目立ちます。

 ゲームに見とれていて気づかなかったのがフェンスの広告。以前はコンクリートフェンスの広告を、どういう方法か知りませんが消してあったのに。ラッキーゾーンがなくなったときからなのか、もっと後になってからかわかりませんが、今はプロ野球時同様に広告が出ています。

 プロの時と広告内容が代わって高校野球用のものだと思いますが、高校野球も広告収入を上げようということになったのでしょう。それにしても広告が出ていることに気づかなかったのは注意不足だったと思います。

 徐々に注意力が散漫になるのも高齢化現象なのかもしれません。

(2516)パソコンの功罪

 パソコンを触りだしてはや40年近くになります。会社人間でなくなってからでも20年を超えています。パソコンが今ほど家庭に浸透する前にはワープロなんてものが家庭に入り込んだ時代もありました。

 自分が使った最初のパソコン、まだパソコンという表現もなかったと思います。家庭用というのか子供用というのか、ソニーのホビー的なものだったような。要は家庭用コンピューターで何ができるかを知りたくて。

 仕事に結びつける気があったのですぐNEC製の同じようなものに買い換えましたが、こちらの方がリボン式プリンターが付属していたので。ただし文字はカタカナとアルファベットのみ。漢字変換はできません。

 我が家に漢字変換ができるものが入ったのはワープロ。収容されている漢字が少なく、一部は自分でドットを組み合わせて作らねばならないやつ。おかげでこの頃までは漢字の構成を覚えることもできました。

 しかし最近のパソコンは日本語も豊富に収容されており、作字をする必要がなくなりました。こうなると困るのが漢字を覚えなくなった、というよりどんどん忘れてしまうことです。学校教育でもかつては覚えなくてよかった憂鬱の「鬱」の字も覚えなければならなくなったそうです。書けなくてよいのです。読みさえできれば。それはパソコンの存在を前提にしています。

 昨日のニュースは日本人の論文提出数が減少し、世界ランキングの順位が落ちたとか。入試解答が選択式重点になり、記述式でなくなれば文章をまとめるのは苦手になるでしょう。

 こんなことを言いながら私自身も今まで覚えてきた漢字が書けず、辞書の世話になる頻度が高くなりました。日頃かなり難解な文字も読みこなしているのに。書けないのです。小学校で習うような漢字でも。

 家内も自分の名前が書けなくて苦労していますが、二人して同じようなことになり困りました。

(2515)介護日誌 3

 2012年9月、私も受診するからと妻を納得させ、当時最寄りの脳神経外科で脳ドックを受けることにした。このクリニックはその前にも国保の定期検診の際、眼底検査の異常で眼科から紹介を受けたことのある専門医。

 MRIなど一連の検査後医師から「年齢的に相応の異常が認められるが、今すぐどうこうと言うことはない」とのご託宣。「どちらかと言えば奥さんよりあなたの方がいくらか進行している」と注意されている。

 このときはそれ以上踏み込むこともなくしばらく様子を見ることにした。念のため1年後に再検査しようという話になりその間は特に脳神経外科に行くことはなかったと記憶している。

(2514)歓迎地震

 パソコンが熱中症にかかったわけでもないでしょうが、ついにダウン。約1ヶ月の間が開いてしまいました。メーカーの販売員は7年も使ったというのは感激、なんてことを言っていますがお世辞ですかね。

 そんなことをいわれて今更修理というのも、というわけでついに何代目かの買い換え。ソニーのおもちゃのような初期の初心者用から始めていますからパソコン歴は40年以上になるのかな。私の現役中本社に戻っていますが、その前からですから。

 在社時代を思い出せば私が東京勤務になった頃は東京も地震が多かったのを覚えています。これだけ地震があれば神さんもストレスを発散していうので関東大震災のようなものは来ないだろうと。むしろ戦後地震が少ない関西の方が怖いと考えたりして。

 東京には毎年転勤者が来たり本社に戻ったりと異動が激しかったのですが、新しい人が来ると必ず中規模の地震が。我々は地震におののく人を相手に歓迎地震と言ってからかっていたのですが。

 それにしてもほぼ毎日、日本のどこかが揺れているのに東京地方は地震が少なくなったように感じます。気持ちが悪いほど静か。地震は誰しもいやなもの。しかし各地で多発しているのに、何か取り残されたところは突然ばかでかいのに見舞われる気がして。突然の神の怒りは。

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