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2017年9月

(2534)トイレ今昔

 駅のトイレも都市部は殆ど水洗に入れ替わっています。汚い代表だった昔の駅構内トイレに比べると天国のようなもの。小さい時の我が家で覚えているのは浜大津時代。汲み取り式で月に一、二度汲み取り屋(あの頃は汚穢屋といっていたような気がします)が来てすくい取って行きました。

 怖くて夜一人で行けなかったのが農家の便所。住宅と離れて別棟になっていました。真っ暗な庭を横切って行かねばなりません。風呂もその棟にありました。風呂のほうは五右衛門風呂で子供一人は危ないと大人が付き添ってくれましたが便所は頼まねば付き添ってくれません。

 家内の実家も農家、結婚後間もなく義姉が亡くなりお通夜から葬儀に書けての泊まり込み。便所は父方の実家同様離れになっています。寒いときで暗い庭を渡るのは大人になっても気持ちが悪くて。

 疎開先は山の傾斜を利用した建築のため便を貯めるツボは10メートルほど下。便を落とすと暫くして歩タンという音が跳ね返ってきます。帰り便を浴びないのは良かったけど高さがあって落ちないか心配で。大津の家なんかは勢いよく便を出すと跳ね返ってくることがありました。

 転居を重ねているうちにトイレもたとえ日本式でも下が見えないような便器に、水洗化したあと洋式になり便座が付いてかがむ姿勢が楽になりました。

 国民学校では男子用は一列に横並び、大勢が同時に用を足せますが大きい方をしたくてもみんなが見ていると思うとなかなか入りづらい構造。横並びの小用用はフィリピンやアメリカの遊園地にある公衆トイレで生きていました。それもかなり前の話ですから今は?

 アメリカでも西部劇に登場するような町のトイレが、形ばかりの鍵がかけられてもドアの半分は外から見られる構造。和式であっても外から絶対中が覗けないのに慣れた日本人には奇異な感じが。

 ウオッシュレットを導入して20年近くなり、すっかり使い慣れると外に出かけたときつい洗い流すのを忘れることがあります。すぐに戻って流しますが、慣らされてだんだん行動がズボラになっているのかもしれません。

(2533)煙管

 タバコは自販機などで売っているのに吸う場所がどんどん制約されています。ついに家庭内も子供がいるところは禁煙にする条例を検討する自治体も現れたとか。それでもタバコの売り上げが減ったと穴埋めに苦心するところも。

 それはともかく、パイプタバコを吸う人はたまに見かけますが、煙管を見なくなりました。長い管の先に刻みタバコを詰めて吸っていた母方の祖父。いかにもうまそうに。

 すぐにタバコがなくなるのか、次のタバコを詰め替えるのに今吸っていたタバコを掌に置き、新しく詰めた煙管を掌に置いたタバコから火を取っていました。祖父だけでなく当時煙管タバコを吸っていた人の多くがこういう方法で火を移していたという記憶があります。子供の私はそれが不思議でなりません。火傷をしないのか。

 中学の頃、キセル乗車をする人がいました。乗車、降車の駅から至近距離の切符を買い、間の切符は持たないのです。中間が抜けているのでキセルといっていましたが、当時の闇屋などがよく利用していたようです。両端の定期券を持ち真ん中は無賃乗車。

 学生仲間にもそうした行為をしたのがいましたが、駅からの通報があり当事者は停学を申し渡され、そうした輩はすぐ消えました。キセルの火が消えれば廃れるのが当然かもしれません。タバコもいずれそうした事態になるのかもしれません。

(2532)年寄りの教え

 考えてみれば祖父母からいろんなことを教わっています。やはり疎開などの関係で身近な母方の祖父母からです。

 戦時中は食糧自給のため山を切り開いて芋など山地でも育つ野菜を植えました。農作物についてなら本当は農家だった父方から教わった方が正しい方法だったかもしれません。しかし山地ならではの事柄もあります。

 鍬で土をならすのですが楽なのは自分が鍬より下に位置し、土を掻き下ろすことです。でもそれは御法度。なぜなら土がすべて下に下ろされいずれなくなってしまうというのです。そのため自分は必ず上に回り、下の方の土を掻き上げなければならないのです。

 旅館業というためなのか、敷居は絶対踏まないようにとも教えられました。もちろん着物の合わせ方なども。着付けで男女の違いもその時に習っています。

 小世帯化が進めばこうした教え方が出来ないのも当然。今時の親がしきたりを知らないためその子供はなお知らないで成長することになり、昔からの風習が途絶えてしまうことになっても致し方ないのかもしれません。

(2531)家賃

 先日のニュースで今年の基準地価が発表されていました。身を以て感じないどころか、高齢者にとっては徐々に締め付けられる思いがしているのに、都市部の路線価は上昇しているとのこと。喜んでいいのか悲しむべき現象なのかよくわかりません。

 土地の値段は不動産価額に反映され、ひいては家賃にも響きます。

 私が上京した昭和34年、まだ闇市などが健在な頃ですから住宅事情は逼迫していました。支所に入った代々木のアパート、風呂無し、キッチン、洗濯場、トイレは共用。それで六畳3000円。当時の私の給料は1万円前後。

 3ヵ月ほど経て当選した公団住宅の単身者用は風呂、トイレは共同、キッチンが靴脱ぎ場についた畳4畳に板の間2畳分ぐらいの広さで3000円。5年後結婚することになり小世帯用に代わって6000円。長子を出産して世帯用に替わって1万3000円。3万、6万と暖地を転居する度に家賃は倍々ゲームでした。

 確かに給与も上がり支払いは出来ましたが、すでに100万以上の投資。それで畳一枚自分のものにならないのは不合理と決めたのが分譲住宅の購入。そうして1軒家を入手するまでになった経過を思い出します。

 自家所有になればメンテナンスは自己負担。当然です。家賃不要になってもこのメンテナンスが結構大変。家賃を払うのと同じことと考えれば割り切れるのですが、一家の主になるのも大変なことだと思い知らされました。

(2530)防空壕とミサイル

 北朝鮮のミサイル挑発。戦時中でもないのに他国の上空を無断で飛び越すのは誰しも不愉快なことだと思います。自宅上空をヘリが低空飛行するだけでも機嫌が悪くなるのに。

 戦争中は疎開先の上空をB29 が編隊を組み飛んで行きました。日本軍の高射砲は迎撃しても弾が届きません。我が家上空での出来事でなく、離れたところで撃ちあっていたのですが、その下にある民家はいたたまれない気持ちだったでしょう。

 当時は飛行機で爆弾を運ばなければ遠距離まで届かないので、パイロットが戦死する事態が起きましたが、パイロットを不要とするミサイル攻撃の時代になると、自軍の戦死者は格段に減るはずです。一方攻撃を受けた側は軍人だけでなく民間人にも多くの犠牲者が出ることでしょう。

 北朝鮮が太平洋を越えて攻撃するとなれば、たとえ日本が中立を守っていたとしても上空をミサイルが往来することになります。現在でも航空機が遠方に向かって飛ぶ際には上空を通過する国々に対し、連絡を交わして了解を取る決まりになっています。従って日本の航空機は国交がない北朝鮮上空を通過することはないと聞いています。

 それなのに無人のミサイルが国交のない国の上空を無断で飛び交うことになるとは。Jアラートで政府は国民に注意をするシステムが構築されました。北朝鮮がミサイルを飛ばしてくれるため、自ずとその実証実験が出来欠陥が補完されるのはいいのですが。

 学校では机の下にもぐるとか、窓のない部屋に飛び込むよう放送していましたが、核武装をしたミサイルに対するのはという気がします。何もしないよりはという思いも同時に。

 疎開地での防空壕を思い出しました。まず空襲の恐れがない山中のこと。それでも全戸に安全を図るための防空壕設置が命じられました。といっても力のある男手は殆どありません。女、子供と高齢、あるいは病気を抱えた男性だけ。防空壕が掘れるわけがありません。おざなりの防空壕をそれも道路脇に。出来上がった穴に家族全員は入れなかったと思います。それでもないよりマシということで。

 昔の戦争なら相手国を打つには艦砲射撃や爆撃機による至近距離からの攻撃、途中にある第三国の上を飛び越すことはありませんが、長距離弾道ミサイルが出現すると今後はこういう事態が起きるでしょう。それに対する避難方法も考え直さねば。

(2529)ボケの実

 妻が10年以上前にどこかから貰ってきたボケの苗。庭植えにして毎年白、赤、ピンクの花を見てきました。接ぎ木をしたものなので毎年赤の花が多く白は数輪。日当たりがよくないこともあります。
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 今年も春に同じような割合で花をつけました。そして初夏の頃、枝にできもののようなものが現れ、だんだん大きく。触ってみましたが枝にぴったりとくっついており、夏みかんのようにブラブラぶら下がったものではありません。

 硬いものが幹と枝の間に食い込んだ形で少々のことではびくともしません。それがボケの実でした。長年ボケの花が咲いても実がなったのは初めて。ボケに実がなるなんて全く想定外。こういった植物に関心がなかったため注意してみていません。

 調べると実がなるがうまくないので食べるよりも果実酒にすることが多いそうです。たった1個の成果では浸け込むほどのこともなく。いつまでも枝にぶら下げて木を疲れさせてもというわけでもぎ取り、写真を撮って処分。


(2528)介護日誌 6

 料理作りはやってくれるが味がおかしいと感じるようになったのが14年後半のこと。指摘するとこういう料理を始めて作るのだからという。初めて作るのだから失敗するのは当たり前と考えている。

 昼食を終わればすぐ夕食の準備。今食べたばかりだから暫く休息を取ろうといっても、今やることがないから作っておくと頑固に。しかも2人分だけでよい量を誰かが帰ってくると可哀相だからと余分に作るようになった。

 他に帰ってくる人がいないのに玄関灯を点灯したり、ぞうきんをタオルと間違えて顔を拭いたり。行いが平常でなくなった。

 この年の夏、子どもたちの勧めで市が行う相談会に参加。現状を話したが現在主治医になっているクリニックの先生から別病院に紹介状を書いてもらうのがベターと差し障りのない話だけ。あまり参考にならず。

 14年秋の彼岸、先月の盆に続いての墓参り。しかし先月に霊園に来ていることを忘れていた。しかも法事と間違えているのか喪服を着ようとした。キッチンの洗い物をしても洗ったものを仕舞った場所が思い出せず、使う段になってそれを探す時間を取らねばならないようになった。

 年末近くになる頃には現在の住まいは仕事先、自分の家は実家と思い込んだ風情が見える。「ウチではこんなことをしない」とか、「こちらではこういう風に作るのですか」という按配。

(2527)流行

 暑いと思えば寒い、というほどでなくても気温の激しい変化に衣類の調節、とくに家内のそれがどれを着せて良いのか迷うのです。ときどき訪ねてくるケアマネやヘルパーさん達に聞きながらそれらしいものを着せている現状です。

 問題は季節感覚以前の時代的な変化。とくに婦人物は上着だけでなくそれ以外のものにも流行が見られることです。もちろん婦人物に限らず紳士物も同じこと。

 身長、体重は現役時代に比べてどんどん目減りする私も、街に出かけることが少なくなって他人の外出着がどんなものかわからなくなっています。1年以上前だったか、ある会合で他の人からあなたは時代の先端を行っている。なぜなら今日のズボンが今の若者のように太いものをはいている。というのです。

 実は若い人がどんなズボンをはいているのか関心がなく、テレビでもファッションについて目を光らせて見ていません。だから彼の批評が正しいのか、からかっているのかもわかりません。ただ太いズボンと言われたのは現役時代にはいていたもの。そういえばシャツの襟も幅のあるものでした。そういうところのサイズはあまり変わっていないので当時の服装が今でも着用できるのです。

 思い返せば現役時代は無関心といいながらも流行にはある程度付き合っていました。意識してのものでなく、勤めていれば傷む衣類のこと、ときどき新しいものを買わねばなりません。自然と時の流行り物を手にするわけです。それが今はなく、更新せずともその時代のものが身丈に合うのでたまの外出着として着ているだけ。

 さすがに身長やウエストサイズが小さくなると買い替えなければ。春以来ズボンは替えを数本買いました。スーツはそのままで。上下纏めてのスーツ姿で出かける機会がないのですから替えズボンを買うだけで済みます。ブレザーの襟が今風かどうかは意識していません。

 そんな調子ですから家内の衣類を考えるのは頭がついて行かず。娘からはカタログなんかをよく見ればといわれるのですが。

(2526)結婚指輪

 今は当たり前のようになっている結婚式での結婚指輪交換。50年以上も前の時代はやっとその習慣が出来つつあった頃です。女性はともかく、男性が日常通勤先にまで指輪をはめてくるのは気が引けるといった頃。

 進歩的だった大阪在住の母は顔見世のため彼女を連れて帰った私に、結婚指輪を用意したのかと聞きました。用意していないと答えるとそれはすぐ用意しなければと、自分で調達するからと言う私を宝石店に連れて行きました。

 結局私は自分の指につけることはないからと彼女の分だけ発注。母は今回は自分で経費を持つが、あとはけじめの年ごとに石を大きくして行くことという条件をつけられたのです。

 しかし結果は守れていません。一応節目の時に指輪を買うことはありましたが、石を大きくするというのはとても間に合いません。

 長男が結婚したときは当たり前のように指輪の交換。日頃息子の指にも指輪が。会社で後輩達も当然のように指輪がはまっていました。時代の変革を意識したものです。

(2525)思いがけず

 予想される大震災、そうでなくとも何が起きるか予測できない現在、いざというときに備えておくことは人から言われなくても大事なことだと思います。といっても自分の年齢を考えるとどちらでもという気がないとはいえません。

 半年ほど前に子どもたちが集まり防災グッズを纏めてくれました。玄関口に置いてあるので玄関から逃げ出せる状況なら持ち出せます。中にどういうものが入っているのかもだいたい頭の中に入っています。

 問題はいざという時にそうしたものの使い方がわかるのかということです。消火器は必携品ということ我が家にも常備してあります。幸にまだ1度も使ったことはありません。考えてみればそれが問題です。いざというときに説明書を読んで消火液を噴出するだけの余裕があるのでしょうか。

 確かにボンベには小さい字で使用手順や注意が一杯書き込まれています。急場で適正に使用できるのか不安があります。かといって近所迷惑になる恐れがありテスト噴射をしていません。またテストをすれば新たに購入しなければならず、形式が変わればまた使用法も違ってきます。

 昨日突然我が家の水洗トイレにものを詰まらせ、水が流れず逆流噴出する事故がありました。修理を頼みましたが電話をしてきて貰う時間、修理にかかって無事水が流れるようになるまでの時間、結局9時間ほどかかりました。

 昼間は近くの駅まで走り、公衆トイレで用を足しましたが、夜間になると年寄りの足で駅まで走るのは危険です。といって我慢にも限界が。残念ながら我が家のトイレは1カ所しかありません。

 そこで思い出したのが災害時に備えた簡易トイレ。備えてくれた防災グッズ袋から引っ張り出したまではよかったのですが使い方がわかりません。大きく図示してあるのですがその意味が飲み込めず立ち往生。

 トイレ修理中の人に解釈を頼みやっと使い方がわかるという一幕が。思いがけずテスト使用が出来ていざというときには一応目的を果たせる自信が。せめてこういうことでもないとテストをする機会がありません。

 そういう意味でトイレの不注意による故障も薬になりました。

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