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(2537)仏壇のお供え

 大邸宅でもない我が家の仏壇は形ばかりのちっぽけなもの。両親の実家のものと比べものになりません。しかし如何に大人物でも亡くなれば小さな壺に入るだけ。問題は形の大小でなく心の支えになるかどうかだと思います。

 独身時代は母が小さな仏壇を守ってくれていましたが、世帯を持てば長男の私がお守りをしなければと、母のところにあったものより小さめの仏壇を持ち、朝晩に線香を供えています。開眼法要に来ていただいたお坊さんから、仏さんは水と線香を好むので欠かさないようにと教えられたからです。ご飯などの食べ物は仏さまから頂くという意味があるとも教えられました。

 そこで思い出すのが母方の祖母の教え。御前にお供えするご飯はつぎ足さないこと。1回で盛りきるように教えてくれました。一方我々生きているもののご飯は必ず2回以上しゃもじを使い、1回きりで盛ってしまうことは絶対にしないこと。そういう時は形だけでも良いからと。

 そういう風習が身についたのか普段から何気なくよそっていてもそういう入れ方をしています。小さい時に教えられたこと、意味がわからなくても手のほうがそういうように動いてしまいます。

 こうした教えはそれぞれ意味があってのことと思いますが、もうそのわけを聞くことは出来ません。しかし食べてすぐ寝ると牛になるとかいうように案外大事なわけがあってのことだろうと言い伝えを守っているのです。

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