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(2539)もしも逆だったら

 ラジオの朗読で舌切り雀を聞きました。幼児時代絵本で読んだ話と全くイメージが違います。もちろんこの話を聞く私の年代が違うということがあるのかもしれません。その証拠に余計な雑念が入ってくるのです。

 その一つにもし最初に出会ったお爺さんが物語のように良い人でなく悪いお爺さんだったらどうしたでしょう。雀を捕まえ焼き鳥にしたかもしれません。それよりも前に雀がお礼の葛籠をくれると知らずに追い出していたかもしれません。その方が雀も焼き鳥にされずに済みます。

 桃太郎のおとぎ話も川で流れてくる桃を取り損なっていたらどういう結末になったのか。そういう逆の発想を幼児の時には考えもしません。もっともそれは私だからで、他の頭のよい子だったらそんな発想が湧いたかもしれませんが。

 今の年代になって考えればそのような逆から見ることが案外多いように感じるのです。選挙も然りです。あの人でなくこちらの人を選んでいれば世の中はどう動いたのだろうなんて。

 今総選挙で人の多いところを選挙カーが駆け回っています。いつも感じるのはこういう時だけみんなの前に顔を出すのに、選挙が終わってみればそういう人の顔は落選、当選、いずれも殆ど顔を見ることがありません。

 当選者のうちのいくらかの人は国会中継の中で顔を見ますが、それはほんの僅か。何百人もいる議員なのに、電車でも町の中でも顔を見ることがなく、もちろん投票したことへのお礼などはありません。

 それだったら違う人に投票すれば良かったと何度悔やんだことか。当選者も身内の人となら当選祝などをしているかもしれませんが、一般投票者のことは忘れて駅頭で感謝の演説する姿をまず見ません。もし落選者がすべて当選し、当選者が全員落選という事態が起きたらどういうことになるのか見てみたい。そんな気にもなります。

 それにしても世の中は何時の代でも一旦決まれば流れは一方的。たまには逆流現象があってもよいのに。

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