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2017年10月

(2544)眼鏡

 私が眼鏡の世話になり出したのは浪人時代のこと。最初の大学入試までは眼鏡が不要だったのに。高校卒業で最初の大学受験は国立大学の単願。いわゆる滑り止めはしていません。

 今のような全国一律の共通試験はまだ実施されていない時代です。国立、公立大学の受験日は全国で統一されており、東大、京大のように競争率の高い大学は一次、そうでない国・公立の大学は二次と二回に分けられていました。二回しかチャンスがないわけです。

 私立大学は国・公立大学とダブらない日に試験日を設定していました。多くは国・公立大学より前に試験を実施し、国・公立大学入試の結果発表前に合格者の授業料を徴収して他大学に流れるのを抑える工夫をしていました。重複受検をするのは経済的な余裕がないと無理といえます。

 そんなわけで母子家庭となって母に育てられた私の場合も複願というのは出来ません。一発勝負に敗れ1年だけ猶予を貰って予備校通い。予備校も少ないため希望者が多く、大手予備校は選抜試験がありました。

 急速に視力が落ちだしたのはその頃です。眼科医の勧めでついに近視用メガネを。母にずいぶん迷惑をかけたものだと思います。妻は遠視。眼鏡は不要と着用していませんでした。私の定年と前後した頃からメガネを着用するようになりましたが、そのきっかけがどうだったかよく覚えていません。

 その妻も今はメガネがないとウロウロするのは老眼が混ざっているためだと思われます。さすがに風呂に入るときは二人とも眼鏡を外しますが、寝るときにも眼鏡を外さなくなり、危ないからと無理に外させます。そういう時に「何故そんな細かいことを」と怒り出すのは病の影響でしょう。

 「夢はメガネがなくても見られるから」と説得して一応外させてもいつの間にかまた。

(2543)介護日誌 10

 2016年1月、不機嫌になることが多くなり、朝起こしても起きない。春になるほど機嫌の悪さが目立つようになった。

 3月には妻に軽い作業を頼み、私が別室で仕事をしているとそばに来て「お父さんに電話をいたいので番号を教えて」という。「ここにいるのは誰だろう」と聞くとそこで気がついた様子。私の名はその時点ではわかっているらしい。しかしそれもつかの間のことで、別の日に私の名を聞くと「兄ちゃん」とか彼女の兄の名を言ったりする。

 主治医やケアマネからもう少しデーサービスなどを増やした方があなたの仕事が軽くなるのではと奨められ、運動を主体にしたデーサービスを頼むことにした。見学するとそこは機械を使ってのトレーニング。

 専属のトレーナーが患者の体調を見ながら適切な運動をさせる。お茶の時間にはみんなで間違い探しや塗り絵などの、頭の体操もやるというので通わせることにしたが結局半年ほどで行く気がないと送迎車が迎えに来ても本人が断ってしまう。本人は体が疲れるわりに何も良くなっていないと涙を流す。いじらしく感じて彼女のいうとおりに。

(2542)ワープロ

 初代の頃のパソコンで何が出来るか試した私が本社に転勤し、上司に導入をお願いしたのがワープロでした。当時の上司はワープロがなにかもわからず、無駄な経費を使うことを考えるなと注意されましたが、資材部のほうが強い関心を持ち単独部署で使うのでなく全社員が使うならと1台導入を認めてくれました。

 ところがその便利さ故にたちまち利用者が増え、使用は申込制になり複数台設置されるまでにそれほどの時間を要しませんでした。あれから40年を過ぎ、ワープロという用語もいつしか忘れられる運命に。

 高価だったパソコンも購入時からセットされているソフトを排除したものなら、当時の3分の1ぐらいの価額に。さらにワープロ機能こそ制約されますがスマホのように軽便なものまで普及すれば、単体のワープロが存在価値を見失うのもやむを得ません。

 IT分野の進歩はめざましく、ペン字が下手な私が注目したワープロ機能は、文字を書くという行動さえ必要をなくさせています。学校でも漢字を書くことより読解力に力点が入っていると聞きますが、果たしてそれが良いことなのかどうか、悩まされる現状です。

(2541)気圧の単位

 台風襲来の度に気になるのは気圧の単位が昔と違うことです。平成になった頃まではミリバールという単位に馴染んでいたのに、平成5年頃からヘクトパスカルと早口ではいいにくい単位に変わったことです。

 国際的にもヘクトパスカルという単位が通用しているので、平成4年に気象庁の通達で日本もそれに倣うようになったということです。しかし一般人にその理由が示されたのかどうか覚えていません。

 私たち高齢者が戸惑うのはこのような制度変更に伴う単位などの変更です。高齢でなくてもそうした経験を私たちは受けてきています。尺貫法の改正もそうです。

 私が当時の小学校に入学する少し前に学校ではセンチメートル、キログラムなど現在使われている単位を使うよう定められたとかで、最初からそういう教育を受けました。それが親にはわかりにくかったらしくすぐ何尺、何貫目と聞き直してくる状況でした。

 そのため私も1間、1坪という単位がどれほどのものを指すのか見当が付きます。あの頃の銭湯にあった体重計は重りを填めて測定するもので、単位は貫でした。現在そんな体重計はありません。

 在職中に度量衡ルールがさらに厳しくなり、かつての尺貫という単位に慣れた高齢者も一律にメートル法に従うことに変更され、該当者を困らせる事態が起きました。

 そんな経験をしてきただけに、ミリバールがヘクトパスカルに替わったことに違和感を感じたのです。救いはこれまでの度量衡単位の変更と違い、数字は変わらないので単位の呼び名が変わるだけだったということでしょう。

 使い慣れたものが突然変更されるとなかなか親しみが湧かないということを痛感しました。

(2540)介護日誌 9

 ごみの回収が有料化されたのは平成25年11月。燃えるごみと燃えないごみが対象でそれ以外に危険物、紙、プラ、布等々ずいぶん細分化され、いまだに時々異物混合のため回収できないと置いて行かれることも何度かありました。懸命に協力しているつもりなのに。

 それまでは決められた集積場に運ばなければならなかったのが、各戸の前に置いておけばいいのですからその点は楽になったのですが。

 妻はこの方式に変わったことがわかっていません。すなわちこの頃から病状がでていたといえます。反面集積場に運んだのは数度しかないという記憶があるのは、それまで妻が運んでくれていたからです。

 すなわち彼女と病の戦いはこの頃から始まったわけです。日を追うごとに深刻な状況に。私の母がガンと闘っていた頃を思い出します。弟もガンとの闘病がありましたが母のほうが長い戦い。それでも最期を迎えたのはどちらも発見から1、2年前後だったのですから妻のほうが長引いています。

 しかもやっかいなことに、ガンは早期発見と適切な治療を受けられれば回復の可能性が出ています。もし母や弟が今の世まで長らえていればあるいはということも考えられるのです。

 一方妻の場合は今のところ治療法が確立されていません。これがもう少し後に発症しているのであればとつい考えたくなります。仮定の話をいくら繰り返しても仕方ないことなのですが。

(2539)もしも逆だったら

 ラジオの朗読で舌切り雀を聞きました。幼児時代絵本で読んだ話と全くイメージが違います。もちろんこの話を聞く私の年代が違うということがあるのかもしれません。その証拠に余計な雑念が入ってくるのです。

 その一つにもし最初に出会ったお爺さんが物語のように良い人でなく悪いお爺さんだったらどうしたでしょう。雀を捕まえ焼き鳥にしたかもしれません。それよりも前に雀がお礼の葛籠をくれると知らずに追い出していたかもしれません。その方が雀も焼き鳥にされずに済みます。

 桃太郎のおとぎ話も川で流れてくる桃を取り損なっていたらどういう結末になったのか。そういう逆の発想を幼児の時には考えもしません。もっともそれは私だからで、他の頭のよい子だったらそんな発想が湧いたかもしれませんが。

 今の年代になって考えればそのような逆から見ることが案外多いように感じるのです。選挙も然りです。あの人でなくこちらの人を選んでいれば世の中はどう動いたのだろうなんて。

 今総選挙で人の多いところを選挙カーが駆け回っています。いつも感じるのはこういう時だけみんなの前に顔を出すのに、選挙が終わってみればそういう人の顔は落選、当選、いずれも殆ど顔を見ることがありません。

 当選者のうちのいくらかの人は国会中継の中で顔を見ますが、それはほんの僅か。何百人もいる議員なのに、電車でも町の中でも顔を見ることがなく、もちろん投票したことへのお礼などはありません。

 それだったら違う人に投票すれば良かったと何度悔やんだことか。当選者も身内の人となら当選祝などをしているかもしれませんが、一般投票者のことは忘れて駅頭で感謝の演説する姿をまず見ません。もし落選者がすべて当選し、当選者が全員落選という事態が起きたらどういうことになるのか見てみたい。そんな気にもなります。

 それにしても世の中は何時の代でも一旦決まれば流れは一方的。たまには逆流現象があってもよいのに。

(2538)階段と怪談話

 秋がなく夏と冬が交互に顔を出す今年の秋、もう着ないだろうとしまい込んだ夏物の衣類を慌てて引っ張り出す今日この頃です。こんな調子ではモミジどころでなく、天候の階段は怪談になったような。

 気候の話とは全く関係がありませんが、ミサイルの恐怖が怪談の最先端を走ったようで寄席で聞くような怪談は全く放送で聞く機会がありませんでした。ぞくぞくっとする夏の背筋。暑さが吹き飛ぶのにミサイルでは熱くって。

 定年退職をして20年以上も経ち、東京駅や新橋駅の階段を1、2段飛ばしで駆け下りる元氣はもうありません。今そんなことをすれば転倒しなくても足の骨がショックで折れてしまいます。

 そんなことが気になったのも先日受けた健康診断の結果が良くなかったからです。栄養、とくに鉄分が欠乏しているとの診断で不整脈と相まって、貧血がかなりひどいということ。しかも栄養摂取以外に治療法がないとまでいわれると。

 確かに足はつる、早足で歩きたくても息が切れる、歩けば少しの段差でも靴を引っかける。それでいて息が弾むというような自覚症状が出てきています。年齢のせいと考えていましたがそういう単純なものでもないらしい。

 こういう話のほうが怪談より恐ろしい気がしてきました。

(2537)仏壇のお供え

 大邸宅でもない我が家の仏壇は形ばかりのちっぽけなもの。両親の実家のものと比べものになりません。しかし如何に大人物でも亡くなれば小さな壺に入るだけ。問題は形の大小でなく心の支えになるかどうかだと思います。

 独身時代は母が小さな仏壇を守ってくれていましたが、世帯を持てば長男の私がお守りをしなければと、母のところにあったものより小さめの仏壇を持ち、朝晩に線香を供えています。開眼法要に来ていただいたお坊さんから、仏さんは水と線香を好むので欠かさないようにと教えられたからです。ご飯などの食べ物は仏さまから頂くという意味があるとも教えられました。

 そこで思い出すのが母方の祖母の教え。御前にお供えするご飯はつぎ足さないこと。1回で盛りきるように教えてくれました。一方我々生きているもののご飯は必ず2回以上しゃもじを使い、1回きりで盛ってしまうことは絶対にしないこと。そういう時は形だけでも良いからと。

 そういう風習が身についたのか普段から何気なくよそっていてもそういう入れ方をしています。小さい時に教えられたこと、意味がわからなくても手のほうがそういうように動いてしまいます。

 こうした教えはそれぞれ意味があってのことと思いますが、もうそのわけを聞くことは出来ません。しかし食べてすぐ寝ると牛になるとかいうように案外大事なわけがあってのことだろうと言い伝えを守っているのです。

(2536)介護日誌 8

 2015年の2月頃、ともに近くのスーパーに買い物に出かけると道であった人に会釈をする。なんでも会社で良く会う人だが名前が思い出せないと私に聞く。その会社に勤めたことがない私に思い出せるわけがなく、何より会社を辞めて20年も経過しているのによほどの親友でない限りお互い覚えているというのがおかしい。

 まだ介護になれない私はついそういうことを指摘するのだが、あとで主治医にそういう病気だからいちいち反論しないよう注意を受けてしまう。

 夕食を支度するときも寝室に閉じこもり、手伝って欲しいと呼びに行けば姉夫婦がキッチンを使用しているからと降りてこない。姉夫婦も彼女の実家や外で待ち合わせたりはするがお互いの家庭に顔を見せることは久しくないのだが。

 3月には一人で出かけたカラオケ会場からの帰宅途中、道がわからなくなり持っていた携帯のかけ方も忘れて、やっと見つけた最寄り駅でやっと帰宅コースを思いだしたと、かなり遅くなってから帰宅した。心配して電話を呼んだのだが通じないのも当たり前。携帯の使用法を全く忘れてしまったらしい。

 初夏にかかる頃には夜になってから帰宅すると自分の衣類、化粧品を纏めだしたり妙な行動をするようになった。

 旅行に連れ出せば多少雰囲気が変わるかと考え、北陸新幹線を利用しての黒部アルペンルートをまわることに同意したので長女にも同行してもらって久しぶりの家族旅行。道中は楽しそうだったが帰宅後かなり疲れたらしく熟睡。娘からは今後付き合わないと宣言されるほど迷惑をかけてしまった。

 介護認定も下りたので週1回のデーサービスを担当のケアマネに依頼した。クリニックの看護士、ケアマネ達が私の体が細って来たと心配してくれるほどズボンもだぶだぶ。

 秋になると朝が遅く夜は遅くまで床に入らないようになった。本人自身が自分の頭が壊れたというように思考力の衰えが目立つようになった。

(2535)介護日誌 7

 2015年1月、間もなく私の誕生日が来るため免許証更新の案内が来ている。高齢者はゴールデンカードでも3年に一度の書き換え。家内の問題があり遠出をしなくなった自分に運転の機会がなく、前回からの3年で一、二度レンタカーを借りた程度。

 それならこの機会に返上してしまおうと家内を連れ小金井の試験場に行く。50年近い運転歴。全くの無事故無違反。窓口などで何度も本当に返上するのかと確認された。

 混雑のため順番待ちが多い。途中トイレに行きたくなるが家内に呼び出しを聞いててもらえた。家内も自分の用を足したりしていたが、待ち合わせ場所に戻ってこられた。

 それなのに一人で出かけた1月下旬のカラオケサークルの会、会場の公衆電話を借りて「持参のショッピングバッグと財布をトイレで無くした」という。会場に駆けつけると。会場の事務員、サークルメンバーも一緒に館内を探してくれていたが見つからず。

 やむなく私が交番に紛失届を提出して帰宅すると、家内のカラオケ友達から電話があり男性用トイレから紛失物が出てきたということ。本人の記憶がはっきりしないので正確なところはわからないが、男女のトイレを間違えたのだろうという解釈で一件落着。

 この頃になると朝の機嫌良さから夜になると「家に帰る」と不機嫌な姿を見せるようになった。先ほどまでいた自分の親兄弟がどこに行ったのかと問い質したり、今いるところが勤め先だという思いがするらしい。

 会社を休んだ娘が同伴し私と3人で脳神経外科に行ったが、訪ねる院長が出張のため代診の先生が診察、直ちに「典型的なアルツハイマー病」と宣告し薬を処方。次に診察を受けたときに院長から「出来るだけ薬を押さえてきたが一度飲ませたなら後は続けるしかない」。

 そんな経過を見ながら翌月市役所に介護認定の申請を提出した。

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