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2018年1月

(2568)時代と共に病名変わる?

 在職中は歯医者以外の医師と仕事以外にお世話になることが殆どなかった私も歳には勝てず最近は内科、外科、泌尿器科と医者通いで忙しくなりました。ほんとうは眼科と整形外科も行きたいのですが、家内の介護がありその隙間を縫ってなのでなかなか時間の余裕が取れません。

 外科はヘルニアの手術を伴うため、痛みがいくらか遠のいたこともあって現在模様眺めといったところです。整形外科は腰痛、眼科は白内障。いずれも加齢に伴うものというのは聞いています。

 かつて仕事の先輩や同僚から当時飲んでいる何種類もの薬を見せられたり、胃潰瘍、神経痛、リウマチなどの病名を聞かされたりして、歳を取ればいろんな病気にかかるものだなと考えさせられていましたが、今になって考えればそうした病名を聞かないことに気付きました。

 私もヘルニアと聞き、最近耳にすることが多くなった新しい病名だと思い込んでしまっていましたが、昔の脱腸だと聞くと何で今さらと改めて認識した次第。

 そういえば脱腸以外にも神経痛や中風などが椎間板ヘルニアや変形性ひざ関節症、腓腹筋痙攣、腰部脊柱管狭窄症など具体的な病名で表されるようになったようです。若い人にはわかりやすいかも知れませんが私らになると昔の病名と新しい病名が一致しません。そのため患者と医師の会話を聞いている看護師などはどう考えているのか気になります。

 脱腸、脚気、扁桃腺。今も通じる用語なのでしょうが、現在使われている用語のほうがピンと来る人も多いのでしょうから、世の中さまざまです。

 私とすれば病院通いでもいろいろ勉強させられます。ただ病院と縁がなかったものにわかりにくい用語を使った説明には恐れを感じるのも現実です。

(2567)雪明かり

 最近の放送では「天気予報」といわず「天気情報」といっていますが、確かに今は当たるも八卦式に明日の天気を予想するのでなく、天気がどういう状態にあるかといった情報を伝えるという時代になっています。正確にこれからの天気がどう変化するのか予測することができるようになったからでしょう。

 昨日から今朝方にかけての関東地方の大雪も1週間ほど前から予想して伝えていました。降雪量こそ予想より実際のほうが少しばかり多かったようですがこの際問題にするほどの誤差でありません。

 それより現実に降った雪は今朝我が家の庭で物差しを当ててみると30センチ以上。昨夕デイサービスから帰宅する妻が歩きやすいように掻いた道、今朝はその痕跡さえ認められません。もちろん昨日鳩の番が止まっていた塀もこんもりとした雪山に。

 久しぶりの大雪に今朝も改めての雪かきをして朝食は10時前。妻との食事で話した昨夜遅くの庭の様子。いつもなら灯りが届かない庭は真っ暗のはず。それが夜の10時頃というのに満月の夜より明るいのです。俳句に詠まれる雪明かりというのでしょう。

 「雪明かり」という言葉から高校生時代の「蛍雪時代」という言葉を思い出しました。当時は大学を目指す人たちをそんな言葉で表現していました。同名の雑誌は多くの受験生が読んでいました。出版社の名を知らなくても雑誌名をいえば連鎖反応で出版社の名が出てくるほどのものでした。

 大昔の学舎は夏はホタルの灯り、冬は雪明かりの下で勉強したというのですが、ホタルはともかく、夕べの雪明かりを見れば書物を読むのが可能と感じさせるほどの明るさを持っていました。

 それにしても50年以上前の東京は毎年積雪の中を走る銀座の都電を眺めたものでしたが、都電が走らなくなってからの方が都心の積雪が少なくなったのは、一つの風物詩が消え去ったようで寂しい気もします。これも地球温暖化の一環なのでしょうか。

(2566)初雪

 都心はすでに今年の初雪があったということですが、私の住まいは今日の降雪が恐らく初雪になるのではないかと考えます。予報は今日の午後から雪が降り出すという話でしたが、このあたりは10時半ぐらいから牡丹雪が降り出しました。

 記憶は昨年の降雪が遅く、しかも庭の雪かきをしたのは1度ぐらいだったと。今年はこの調子だと数回やらねばと覚悟。雪かき用のスコップもすぐ手にできるところに出して準備。
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 エサを探して飛ぶ鳥たち、雨の時にはどこに身を隠すのかと心配していたのですが、今日の雪に行くところがなくなったのか、番だと思いますが仲良く塀の上に。この場所は木の枝が被さっていて直接雪はかかりません。すでに1時間以上同じところで首をキョロキョロ。

 右側の鳩は首を盛んに振り、周囲を見回していますから雄鳩だと思います。一方のほうはデンと構えたまま。

 こうした光景を眺めているのも楽しいものです。


(2565)木馬

 木馬は子供時代を思い出させてくれる懐かしい乗り物玩具です。長男が生まれた頃はまだおもちゃ屋にあったような気がします。私自身は5歳頃、母の実家に預けられたときに木馬を押している写真が残っています。

 多くのゲーム機が子どもたちの遊び道具になっているこの頃、昔の玩具を集めた展示会をテレビで紹介していました。木製の玩具が多かった私の幼年期。もちろん玩具店で売っていたのでしょうが、資材不足の戦時中のこと。自分で遊ぶものはだいたい自分たちの手作り。自作できない子どもたちには父親達が廃材を集めて作ってくれました。

 私も幼児期は親が作ったのか、父が買ってくれたのか、そんなことは覚えていませんが、少年期は木や竹を集めて橇などを作りました。夏は丸太を活用した車付きの乗り物、雪が積もれば車を外して竹を割いた橇を着けて雪上を滑りました。

 東京に生活拠点を置くようになると浅草に木馬館という大衆演劇の劇場があることを知りました。残念ながらこの劇場、というより浅草の劇場は殆ど入ったことがありません。知っているのは国際以外にロック座、浅草演芸ホールなど数館だけ。

 そんなことは今回のテーマでなく木馬の話。考えてみれば今の子供に木馬といってわかる子は少数でしょう。デパート屋上の遊園地も殆どなくなり、遊園地でも木馬はなくメリーゴーランドと洒落た名前に。

 昭和から平成、そして今度は……。玩具の世界も移り変わりが激しく、新しい遊具の何ついて行けません。今の子どもたちが昔の遊具名を知らなくなるのと同じ思いを我々もしていると感じさせてくれるのです。

(2564)介護日誌 15

 毎日顔をあわせていると目立った変化は認められないが、久しぶりに会う人からは夫婦とも痩せたのではないかという声を聞くようになった。月に1,2回顔をあわせる医師達もそういうくらいだから、何ヶ月ぶりのカラオケの先生から見れば一層目立つらしく心配してくれる。

 本人がいくつかのクラブに所属したカラオケも今は一つだけ。それも月2回の例会は昨年夏以降欠席続き。今年の新年発表会も欠席したが、気を使った先生が家内の友人に見舞い品を預けてくれた。

 食事は2,3年前からから私が作るようになっていたが、昨年春頃からは入浴やトイレの面倒も。介護認定のアップに伴い、主治医やケアマネの勧めでこれまでのデーサービスに加え、定期的なショートステイ、訪問介護も受けるようにして私の時間を作るようにしてくれた。

 それにしても公的援助がいろいろあるのに教えて貰うまで知らない無知識な自分を改めて知らされた1年だったような気がする。

(2563)下弦と加減

 お月さんが出ている夜、普段はなんとなく眺めています。今月はお正月の2日、天気も良くキレイに満月が見えました。それから数日を経た朝、西の空を見ると晴れ渡った高い位置に沈み損ねたかのように東南の方向が太陽に照らされた月が残っていました。

 月は夜輝いて見えるものという先入観があるというわけではないのですが、太陽と月が同時に見えるのは面白い現象に感じます。しかし月の太陽に照らされた部分が明るく輝いていることが目に見えるというのは、月が太陽の光を反射して見えることを実際に感じることのできる瞬間でもあります。当然こういうのは昼間でしか見られません。

 それでも地上の人物には夜の月のほうが鮮やかに見られます。満月の夜などは、太陽が見えないのに地上は明るく照らされ、街路灯がなくても歩けるほど。

 昔の人は満月以降の月を下弦の月、新月から満月までは上弦とうまく名付けています。言葉を聞いても詩的な感情が醸し出されています。

 同じ「カゲン」という発音ですが「加減」と書けば受ける印象が全く別のものに。そんないい加減なことでいいのかなと思わせるのです。加減を計って人の心を傷つけないよう気を使わねばなりません。そのあたりは塩加減というのかな。

 塩加減は塩梅と置き換えてわかりやすく。本来加減はうまくバランスを取るものなのに、何故かいつの間にかいい加減なものに。そういえば薪や石炭で風呂を沸かしていた時代に、風呂の温度を「湯加減は如何?」、「ああ、いい加減です」なんて会話もあったんだけどなあ。

 「カゲン」一つでも用法は難しい。下弦の月も考えれば考えるほど新たな問題が飛び出し、その解を求めているうちに眠りについてしまいます。

(2562)えびすさん

 今日は1月10日。十日戎を連想します。東京ではあまり聞かないことですが商都大阪は商売の町。商人はもちろん、直接商売に関係のない人でもえびすさんは初詣に次いでお詣りの対象。大きなところでは西宮戎が有名ですが、私は親に連れられてお詣りした今宮戎を覚えています。

 といってもここは父が応召して外地に赴くまで滞在していた当時の今宮中学の記憶のほうが鮮明。今宮戎にお詣りしたのは戦後新世界で開業していた母に連れられて行ったのが初めて。父といった記憶はありません。

 その頃はえびすさんといえば今宮神社のことだと思い込んでいたようです。西宮戎を知ったのは学生時代か会社に入った頃だったと思います。西宮神社にはお詣りした経験があるのかどうかも定かではありません。

 会社時代は仕事上何度も市内を訪ねていますが、神社がどこにあったのか記憶は今でもないほど。天王寺近辺からはそれほど今宮神社が近かったということです。その後母の店は梅田に変わりましたがそれでも西宮神社には。

 今東京に住みついてテレビに見るえびすさんは西宮ばかり。やはりこちらの方が規模が大きく、放送対象になりやすいのでしょう。

 母も他界し、遠く離れた関東に住みついたため、妻や子どもたちに関西のえびすさんは連れて行っていません。当然彼らはその子供に関西の風習を教えることはないでしょう。残念に思いますが、住めばその土地についての知識を蓄える方が先決です。こうして親の故郷は忘れ去られてゆくものだと思いを新たにさせられてゆきます。

(2561)のど飴

 もともと歯が悪いため、飴のように歯にへばりつくものはあまり食べなくなっていました。それなのに最近は毎日、しかも就寝前に食べるというよりなめるようになっています。総入れ歯に近くなり、噛むことができず嘗めるしかないのです。飴を好むようになったのはおまけにつられたグリコやミルクキャラメル以来です。

 考えてみれば今になって少年時代の好みが復活したのは「のど飴」が売れ出し、家内に付き添ったカラオケ教室でのどによいからと奨められ嘗めだしたことです。のどに良いといわれれば結局口にするようになります。

 取り置きがなくなればスーパーやコンビニで買い求めるようになりましたが、選択の幅が無かった昔に比べてずいぶん多種多様ののど飴が売り出されていたのに驚かせました。メーカーも製菓会社だけでなく製薬会社も進出していました。

 七五三の時期に流れる映像で千歳飴の袋をぶら下げた子供の笑顔が定番。自分自身のそんな写真はなく記憶にも残っていません。日中戦争から太平洋戦争にさしかかる頃七五三の時期を迎えていますからそれどころでなかったのだと思います。

 従って私の記憶にある千歳飴は長男が五歳になったとき、天満宮境内で買った千歳飴が初めて。当然それがどういう形なのかも全く知りませんでした。子供が生まれて初めてどういう飴かを知ったわけです。

 村祭りのような場面で売っていた水飴は最近全くお目にかかりません。綿菓子のように橋の先にくるくる巻き付けた水飴、嘗めている途中で垂れた飴が洋服を汚します。祭に連れて行った父親からこっぴどく叱られたのはもちろんです。囲碁水飴も食べたことがない。

 飴一つでもいろんなことがあったのだという想い出が脳中をよぎります

(2560)火種

 お勝手のコンロをガスからIHに切り替え、炎についての心配がなくなりました。もっとも室内暖房の補助としてガスファンヒーターを使用していますので、炎の出るものが全く無くなったとはいえませんが、気分的にずいぶん軽くなったように思います。

 そうなると勝手なもので炎が与える暖かさを懐かしく思い出します。というのも初詣のお宮さん、境内で返上されたしめ縄などを燃やすドンド焼きの暖かさに触れたからです。

 そこで連鎖的に思い出したのが幼い頃、表でたき火をやりましたが、その火をつける手順です。まず古新聞を丸めたり、藁があれば藁にマッチで点火。順次大ぶりの炎が移りやすいものに移しました。

 コンロなんて洒落たもののない時代のことです。台所はコンロの代わりに土製のかまどが設置され、藁か古新聞を使いマッチから移した火を小枝から太い木にと段階を追って燃やし、焚き物などをしていました。

 キセルたばこを吸う祖父はマッチで起こした火をタバコにつけたあと、タバコがなくなると新しいものに詰め替え、灰皿に捨てた前のタバコの火を新しいタバコに移していましたが、灰皿が手元になければ掌に古いタバコの火を転がせながら点火。子供心には不思議な光景でした。

 マッチも普通のものなら子供でも使用法を知っていますが、戦後進駐軍が持ち込んだ硫黄マッチは不思議に見えたものでした。マッチを擦る薬紙がなくてもズボンや靴に軸をこすれば発火するのですから。

 当時私たちは当時の国民学校で日光とレンズを使った発火法を教わっていました。3年頃だったかな。黒い紙が凸レンズを通した日光の熱で燃えだし、それを燃えやすいものから燃えにくいものに炎を移す順序はご飯を炊く場合と変わりません。こうして子どもたちは火の使い方を学んだものでした。

 危険に見える火の扱いもそれが摩擦熱を利用したものとか どのように燃えにくいものに炎を移してゆくのか、ものの道理がわかればその応用も難しくありません。すべて危険物として子供の目から遠ざける現在の教育方法には少なからず疑問を持ちます。
 
 先端部分が丸くなった市販の鋏。安全かも知れませんが我々にすれば実に使いにくいもの。切ることだけに専念する道具なのかも知れませんが、とんがった先端部分は衣類タグの糸を切ったりするときに有効だったのに。

(2559)介護日誌 14

 2017年、家内の様子はますます悪くなるように見える、本人が無意識のまま行動が先立つ。せっかく自分でお勝手の洗い物を済ませても、洗った皿の上に生ゴミを置いたり、生ゴミをキレイに盛り付けているのでどうするのかと聞けば、これから食べるからという返事。

 さらに突っ込めば機嫌が悪くなり「役に立たないから帰る」と言い出したり、帰る場所を聞けば「どこだかわからないけど自分の家があるから」とわけのわからない言動。あまり問い詰めることは避けるよう医師からの忠告があるのだが、つい気持ちを爆発させてしまう。

 会社を退社してからの毎日が日曜日という気があったが、今は逆に日曜日がなくなった感じがする。元旦早々、走り回る救急車のサイレンが聞こえたが、介護にも元旦という日があるが休めない日だ。

 今年はどういう発展があるのか?できるだけよいほうに向かうことを期待しているのだが。

(2558)審査員

 我々年輩ではだんだん遠のくNHK紅白歌合戦を聞きながら眠ってしまい、目が覚めると2018年。いろいろあった昨年も無事乗り切ることができました。何はともあれおめでたいことです。

 紅白といえば話題になる審査員、年内に各分野で活躍した人が選ばれています。今回は将棋の加藤一二三さん達。お遊びのような番組ですから誰が選ばれても一応なるほどと納得しています。

 歌の審査経験、音痴の私が指名されることはあり得ません。他校の校歌を作ったりする高校の同級生、グリークラブで活躍した学生時代の同級生、N響のメンバーだった会社時代の付き合い仲間、仕事で知り合ったヒット曲歌手。私の周囲に音楽家も多いのに。

 一方では写真コンテストや論文審査は何度か引き受けました。こういうのは私の分野です。とにかく数ある作品を短時間で審査しなければなりません。私の得意分野であってもその人は懸命に調べ、まとめ上げた作品です。

 疲れます。最後に見る作品と最初に見た作品で判断基準がずれないよう時々小休止。疲れを戻します。こういう時はどうして審査なんか引き受けたのだろうと後悔するのですが、いろんな人が丹精込めて書き上げた作品から、まだ見ぬ作者の性格が浮かんでくるのが楽しくて。

 審査はそれなりの苦労を伴いますが、人を読むのには適切な手段だったといえるかもしれません。

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