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2018年2月

(2577)嚥下障害

 いろんな病気があるものです。現役時代殆ど病気をしなかったのに退社後の医者通いがこんなに増えるとは。それとともに多くの病名を知りました。

 脱腸は子供時代の少年雑誌に脱腸帯の広告が見られて知っていましたが、それが今はヘルニアということにやっと気付いたばかり。なのに今度は嚥下障害にかかりそんな病気の存在を知ったのです。

 昨年末頃からのどが痛くなりゲップが多くなりましたが、以前からむせることが時々あったのでそれほど気にしないで正月を。しかし雑煮が思うようにのどを通りません。高齢者が餅を詰まらせる話はよく聞いていたので、気はつけるようにしていました。

 それでも好きな汁粉を作れば必ず切り餅を1,2枚。それが今年になってから食べる度にのどに引っかかるような感触。むせるとこなれた餅が飛び出したり。

 これは異常と感じて耳鼻咽喉科にかかるとのどはキレイだが消化器の先生に診てもらう必要ありということ。最終的に噛む行動がうまくいってないからと歯科で。すべての先生が共通していうことは現在のところ薬はなく口腔のトレーニング。

 認知症という病名も昔からその症状があったのに違う表現でした。時代とともに表現が変わるので新しい教育を受けていない高齢者は戸惑うばかりです。

(2576)介護日誌 16

 昔から聞かされた諺に「遠くの親戚より近くの他人」ということがありますが、この1ヵ月はこの諺が思い起こされる簡でもありました。私がお勝手仕事などをしている間に家内が外に出てしまい、迷ってしまったのです。

 以前、夜の片付けが終わると「家に帰ります」と私の止める手を振り切って外に出、無理に手をつかめると「暴漢に襲われた」と大声で通行人に助けを求めることがありましたが、医師に調剤して貰った薬を飲ませるとそういう現象は収まっていたのに。

 今回の最初はお隣も方が、奥さんが迷っているようだったのでと連れ帰ってくれました。私が洗い物をしており、妻の姿が見えないことに全く気がつかなかったのでその時初めて外出していたことに気付いたのです。

 二度目も昼間、家内が家の中にいないことに気付き慌てて外を探しても妻の姿がありません。ちょうど顔をあわせた今度は反対側の隣人に妻の行方側からにと告げると、ちょうど息子がいるからと車を出して探しに出かけてくれました。

 私も妻が歩きそうな道を自転車で探しましたが見つかりません。警察に捜索を依頼しようと帰宅すると車で探しに出てくれた隣人から、昔お宅が住んでいた団地に行ったのではと思ってその団地に行くと案の定見つかったと連れ帰ってくれました。

 こうしたことを知った息子からは、息子達の住む近くで施設でも探せばといってきましたが、ケアマネは以前住んでいたなど地理感があるならともかく、全く知らない土地に転じて一層体を悪くしたケースのほうが多いので、あまり奨められないとの助言。結局もうしばらく今までのままで様子を見ることにし、施錠などに気を使うことにしました。

 一方ではこういうこともあるのでと、改めて近くに住む娘とともに近隣の家庭に援助を依頼してまわりましたが、つくづく近所づきああいの大切さを教えられたものでした。

 そういう意味では昔の団地住まいの時は階段が軸になった構造だったので、同じ階段を利用するお宅に妻が引っ越しの挨拶をしてまわったことがありました。その頃の妻はそうした気配りができていたのでしょう。

 廊下とエレベータを軸にした構造の集合住宅が増えた昨今は、こうした習わしも失せてきたかのように見えます。寂しい感じがします。

(2575)頭の痛い時期

 年金だけの生活。確定申告の季節ですが本来あまり関係がないと思っていたのに、医療控除があるため昨年中の医療費領収書を引っ張り出し、懸命に計算。

 そもそも年金に税金が課せられるのは理不尽と思うのですが、在職中に納めた年金額に応じた分は課税対象から外れていたので仕方ないといわれると、そうかなと思ってしまうのもあなた任せだったからでしょう。

 なんとなく給与から多額の税を引かれて、さらに年金からもとなれば二重課税でないかと息巻いても、こちらの考え違いを指摘されるとそうかなと思い込まされてしまいます。

 しかし在職中あまり気にしなかった医療関係の領収書も、仕事がなくなればよく病院に通っているなと考えさせられる量です。医薬分離で1回医者にかかると必ず薬局の領収書も。従って単純に倍の枚数。さらに診療報酬明細や薬剤処方明細書もつきます。

 これらを仕分けして金額を集計。年金生活者でも税理士に頼みたいほど。そんなことをすればそれこそパンク財政になりますから実行はしませんが。

 それほど苦しみながら計算しても戻される還付金は僅かということがわかるだけ。頭が痛くなりまた医者に駆けつけねば。

(2574)因数分解

 旧制中学で習った因数分解は今でも計算できます。ところが何故因数というのかは疑問にも浮かびません。ただいくつかの数式を重ねて共通の解を求めるということぐらいしかわかりません。

 孫はまだ小学校3年になるところですが計算に興味を覚えているらしく、そのうち因数分解の因数とはなにかと聞いてくるのでないかと戦々恐々です。なにしろこういうことは因数分解というのだと教えられ、因数とはどういうことかを教わった覚えがないのですから。

 そういえば英語でもいちいち単語を翻訳するのでなく、ラジオはラジオというようにそのままの言葉を覚えた方が英語を知る近道だと誰かに教わった覚えがあります。なかなか実行できず相変わらず翻訳をしてかかりますが。そのためか英語が覚えられません。

 因数分解でも因数とはなにかと詮索しなかったため却って計算式とその解法を覚えたのかもしれません。

 物事はいちいち言葉尻にとらわれず、そういうものだと思い込んで次に進んだ方が得策なのかもしれません。

(2573)たばこ税

 妻をショートステイに頼み昔仲間との飲み会に久しぶりの出席。これぐらいのわがままは許されるでしょう。ついでに先日妻のかかりつけ医や介護関係者達からストレス発散のための少量の喫煙、飲酒は許されるという声に励まされ、酒を約1合半、タバコを飲み屋で4本、結局1日8本吸ってしまいました。最近の私としては吸い過ぎ。

 しかしせいぜいこんなものです。むしろ困るのはタバコを吸う場所がないこと。昨日の会場も昼間は全面禁煙ですが、夜間は区切られたコーナー内ならOK。同じ仕切り内で昼は駄目でも夜は許されるというのも考えればおかしなものですが喫煙者には親切な計らい。

 オリンピックに向けて法や条例の整備が急がれていますが、それでもたばこ税を引き上げるというのはどういうことなのか。税収を上げたいのか、喫煙者を抑えたいのか、そこがはっきりしません。はっきりしないため関係業者もユーザーも首をかしげるばかり。

 今でもフィルター付きのタバコならフィルター以外の、本体部分はすべて税金という割合になるぐらいの税金、それをさらにアップすれば1本のタバコの殆どが税金ということ。割が合いません。

 それならとタバコ離れがさらに増えるでしょう。税収は今より減るかも知れません。そうなれば私も考えるかも。といっても今度は酒税が上がるのかな。ストレスの貯まる要素が増えそうです。

(2572)火山

 世界中が大地震に見舞われています。とくに最近ほど多くなっているような気がします。地球創造の神が人類の行いに憤怒したような。昔人間から見れば確かに遺伝子組み換え、クーロンなど自然の摂理に従わない行為が多くなっているように見えます。

 火山の噴火も自然界の怒り表現の一つかも知れません。特定の信仰観を持たない私でもこれはおかしいと考え込んでしまいます。神の怒りではないかと。

 火山噴火も過去数千年噴火していないという山、数千万年前に噴火した痕跡が残るという山が活動を始めたみたい。昔私たちが死火山として習った山が噴火したり。そもそも数千年、数万年前に噴火して以来なりを潜めているからといって、分類上死火山にくくってしまうことが問題。1万年に一度の噴火確率といっても今年がその1万年目にあたるかもしれません。

 国民学校で習った、死火山、休火山、活火山という分類法は現在は無いということを先日の新聞で知りました。古くに習い、または資格を取ったものに新しい分類や法規を知る機会は非常に少ないと感じます。

 運転免許も更新の際に一応改正点を教わりますが、よく覚えていなくても更新が可能です。事故を起こして初めて改訂があったと知る人のほうが多いでしょう。ましてや火山の分類や震度基準の変更なんてのは、噴火や地震が身近なところで発生しない限り変更を知る機会がありません。知っていたにしろそれは雑学として片付けられてしまいます。

 それにしても火山に死火山、休火山はないということはもっと知る機会があっても良さそうに思います。

(2571)ゴム通し

 むかし、母に手伝わされた裁縫。当時は男児は家庭科の教習がありません。しかし家で母の仕事を手伝うとそういうことをやらされました。毛糸巻だとか針の糸通しなど。もちろん本格的な縫い物や編み物まではやらされませんでしたけど。

 パンツのゴムがゆるくなったため ゴム紐の差し替えをやらざるを得ません。近くに裁縫用具屋があるのを知り、必要品を買って早速通し棒を使い新しいゴムを通しました。慣れない手先は計算通りに行きません。

 考え直せば昔はゴム通しなんていう用具はありません。それまであったゆるいゴムを引き抜く前に先を新しいゴムと結び、引っ張り出したものでした。便利なものができています。こんなものなら昔からあっても良さそうなのに。あるいはすでにあったのに母があえて使わなかったのかも知れません。

 むしろそんな面倒なことをするなら材料費を考えても、新品のパンツを買った方が合理的というのが今の時代かも知れません。ゴム通し代、ゴム紐代と時間、労力を計算すればそちらを取るというのが現代風でしょう。

 しかし私はそうした空費するような時間に、亡き母のことを、そして暖かみを思い出しました。

(2570)皆既月食

 1月31日夜22時頃から始まった皆既月食。1時間あまりにわたり見られたそうですが結局私は見ることが出来ませんでした。しかし皆既日食と違いそれほど残念とは思いません。今年は7月にも見られるということですが、皆既月食はそれほど頻度が高く、また見られるという気があるからです。残念に思うとすればスーパー・ブルー・ブラッドムーンという現象が今回は現れたということ。どういう風になるのか肉眼で見たかったという悔しさは残っています。

 月食や日食は戦争と無関係の天体ショーですから戦争中にも起きました。しかしその頃のことは日食のことを覚えていても月食については記憶がありません。今考えれば灯火管制の夜は表に出て月を眺める余裕なんてなかったのかもしれません。

 一方日食は昼間の出来事ですから学校で授業を受けていても起きます。今でも覚えているのは国民学校3年頃だったと思いますが、授業中に起きることがわかり全員校庭に出て日食を眺めたことです。皆既日食ではなかったのですがかなり大きく削られて形にまで進行しました。

 生徒達は工作の時間にセロファンを蝋燭のススで塗った、自作の眼鏡をかけてお日様を眺め大騒ぎをしました。そこで日食の原理を教えられたように思います。まだ日本軍の優勢を伝えていた頃のことです。月食のことも教わったような気がしますが、その時の頭には入っていません。

 それ以来部分日食はたびたび見ましたが、皆既日食を見た記憶は非常に少ない。地域、時間などの条件がなかなかうまく整わなかったからでしょう。ましてや金環食を見たのは国内のどこでも見られたという数年前が初めて。今後も恐らく見る機会はないと思います。

 それに比べて皆既月食はメルボルンでも見ており、それほどの珍しさが伴わないというのが本音。

 いろいろ言ってもやはり人間の力が及ばない天体ショーを無料で見せてくれる天体。戦争を忘れさせてくれた力。素晴らしい自然だと思います。

(2569)敬語

 かねてから若い人の敬語の使い方がおかしいと思っていましたが、教育者自身が正しい使い方を知らないのでは仕方がないと、結局時代に流されるようになっていました。しかしこれが国を代表する大臣や議員さんとなると話は別。

 こういう人が敬語を使うとつい日本は世界でそういう立場に置かれているのだなという意味で納得させられるのです。

 先日外務大臣が中国を訪問し先方の首相達権力者と会見を果たしたのは、昨今の日中、日韓関係の中でさすが話を前進させてくれたと喜ぶべきニュース。ところが大臣の記者会見などで語っているのは、自信が先方に「申し上げ」「先方のご意向だった」というような説明。もちろん私がその場にいたわけでなく、新聞、テレビのニュースを聞いての受け止め方です。

 なんだか日本が中国を仰ぎ見ているような感じを受けたのです。現在日本はアメリカでも中国とでも対等の立場で話せる位置にあるはず。なにかへりくだりすぎているような気がしたのです。

 政治家が敬語を使うときは相当の気を使って欲しいと感じました。

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